『SEED Freedom』感想
ガンダムは大体知ってる
SEEDは話の内容は理解してるけどTV版全部を観たわけではない
オールスター大活躍、という感じ。新しい敵にボロ負け→新しくて強い装備をゲットして大逆転!!!なストーリーなのでファンなら誰でも満足できるようなストーリーになっていたと思う。新規作画でヌルヌル動く上にTV版のオマージュ(?)が結構見られて良かったと思う。当然だけどTV版全部見ておけばよかった。全100話をいつ!?
序盤 ブルーコスモス掃討
新型が多くて助かる。まだCE75なのにコンパス勢はほぼ全機が新型に置き換わっている辺り、CE世界の技術革新の速さを思い知らされる。それにしてもストフリ・インジャ・ディスティニーが旧式扱いされてるのはちょっと違和感があった。
中盤 ファウンデーション訪問~コンパス敗北
劇場版でもキラが嫌々(義務的に?)戦場に駆り出されてるのは結局変わらないっぽい。キラはもう休ませてやりたい、でも…(キラのパイロットとしての力が必要)!みたいなセリフがあったが、早く休ませてあげてほしい。能力があるから義務が生じるみたいな観念、自由というより運命(ディスティニー・プラン)になっちゃってる感じがある。ラクスはディスティニー・プランを否定するために、最終的にはキラをただの民間人に戻してやる必要があると思う。それがSEEDの本当の最終回なのかなと。
ボロ負けする時はキャラが何人か死んでもらうのが現実的と考えると、一番丸そうな三連星の後ろのおっちゃん達が撃墜されたのは仕方がなさそう。ついでにアークエンジェルも撃沈してもらったのも仕方がなさそう。今回の映画は20年振りの新作ということもあってお祭り感が強い。こういうお祭りで、ファンの多い既存キャラが死んでしまうと炎上してしまうので、ファンの少ないキャラと、キャラでないにしろファンの多いアークエンジェルが犠牲役に立てられたのだろうと思う。アークエンジェルは最初期から主人公勢力の家だったので結構ショックだが、最悪3番艦とか、スーパーアークエンジェル級とかで何とかなる。
ラクスが実はアコードでした、という後付けは個人的に結構良かったと思う。ラクスの魅力がアコードの能力による精神操作が関与しているとしたら面白い。この感じで、実はアスランとかノイマンがスーパーコーディネイターでした、とかでもう1作作れる。
回想シーンで、1年前にフリーダム強奪未遂事件があったという話があったが、ちょっとシーンが矛盾してるように感じた。ブラックナイトスコードは既にMSをロールアウトさせているけど、これらはストフリ・インジャ・ディスティニーらを解析して得た技術を使っている(要検証)。しかしそのMSがフリーダム強奪(=解析)に関与した。ちょっと説明が欲しい。
終盤 レクイエム攻防戦
コンパスという組織、よく言えば適材適所が徹底されている。悪く言えば、個人の能力に依拠し過ぎで怖い。
キラが被弾しないという前提で装甲薄目になったストフリにアスランが乗ってる展開は、観て1日経つとかなり乱暴な気がしないでもない。アスランがブラックナイトスコード相手に被弾しないのを前提に作戦を組んでるのは信頼、あるいは楽観のように思える。
要人が「愛」とかいう不確かなものに依ってまとまってるのも怖い。ラクスとキラが愛し合ってる内は無敵だが、ほころびが生じると一気に崩壊するリスクがある(これは中盤に示された)。国連軍みたいな組織がこれでは困るのでは?
イザークがデュエルに、ディアッカがバスターに乗ってるのは激熱だが、ファンサが過ぎる。いくらクライン派のファクトリーとはいえ、連合製の機体(しかも最初期)を核動力に換装して再建造してるのは意味不明。
ラクスの謎のエッチなパイスーは何だったのか。
最後のカット、裸になったキラとラクスは、お互い胸の内を明かしているという表象に過ぎないだろう。