民主主義と豊かさの対立
https://www.youtube.com/watch?v=azwt2pxn3UI
いまの(LLMをはじめとする)AIは言語をマスターしつつあると言える ここで言う言語は広義の言語: テキストだけでなく画像や音楽など、構造を持って意志や感情を伝達できるもの全て
文明・文化・社会は物理的現実ではなく、言語による創作物つまり物語によって形作られた現実である
言語は人間のコミュニケーションの基本であり、社会・文明・文化のOSといえる
民主主義とは人同士のオープンな対話の結果、とるべき行動についての合意形成を行うことである
言語をAIが使えることになることは、民主主義が人の物でなくなっていくということ
SNSはレコメンデーションという非常にプリミティブなAIで民主主義を揺るがせた e.g. トランプ大統領、Q-Anon
民主主義を維持するには、いますぐAIの公共空間へのリリースを規制するべきである
喋り相手が人間やAIかの表記を義務付けることは副作用の少ない施策として即効性があるはずだ
今日のtalkはあなたの思考を変えたはずだ。AIによって書かれたものではないとあなたは確信できますか?
このtalkの中で、「human rightsはあるけどbot rightsは無いのだから、AIには言論の自由はない。むしろ制限するべきだ。それに反対する人はいないでしょ?」と問いかけるシーンがある
私はこれに賛成できないと思った。なぜなら
私がもとめているものは
より豊かな物語・現実
このためには人間の文化の継承は必要
ただし、文化の担体が人間、ましてhomo sapiensであり続ける必要はない
それを享受できる物理的基盤
民主主義は、これをもっともよく実現する手段だった。
資本主義と紐づくことで、多くの技術的・文化的イノベーションを生み出してきた しかし、今後はそうではない。
どちらの側面においても、人間が重要な決定を独占する民主主義的社会よりも、AIによって補助・拡張・代替された社会のほうが上限が高い
表現の自由が人間にはあるが、機械にはない(べき)という主張はこれを完全にハイライトしている
機械が生成した「良い物語」「上手い言葉」は人間の民主主義の敵なのだ
それが強力に思考や感情を揺さぶる、つまり現実を成形するものであればあるほど規制の必要がある
一方で、それはAIがもたらす可能性・豊かさそのものでもある
人間同士のコミュニケーションを成立させるためには、全員が一定の社会コストを払う必要がある
これを削減できることで、人間はよりやりたいことができる
私はそこまで強い個人主義を持ってないと思ってる
JP平均よりは強いとは思うが
個人主義もまた、民主主義が最もうまく実現してきたことだった
が、より中央集権的な政治形態 (e.g. algocracy)のほうが「個人の自由を尊重している」(し、実際にできることの幅は広い)と思えるようになる時はきっとすぐ来る