読書メモ: 暇と退屈の倫理学
好きなことの見つけ方が知りたい
時間を何に捧げるかを決めたい
哲学的に好きなこととは何かを知りたい
哲学は疑問を解消する概念を提示してくれる。差し詰め私は「好きなこととは何か」という問いにぶち当たっているのであった。
人は使命を必要としており、やることがなくなると不幸になる
幸福とは熱中できることを見つけることである
だから、興味を引くもに対して友好的になればよい
Q. やるべきことが残っていない世界では不幸になるのでは?
(?)なぜ豊かさを喜べないのか
豊かになるとは箇所分なお金と時間を得ると言うこと
では豊かになったお金と時間は何に使うのだろうか
A. 「好きなこと」 => 好きなこととは? 趣味を無理やり好きなことにしている
供給者(広告やセールスマン)が「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせている
モリス: 「消費社会が提供するような贅沢とは違う贅沢」
日常的に用いる品々に芸術的な価値を担わせることを目指した
退屈な事実から目を背けるために、熱中するものを見つけたいという欲がある
退屈の反対は興奮である
同じことが繰り返されると退屈する
昨日と区別できる何か興奮できるものが欲しい。興奮できれば不幸な話でも構わない
-> 他人の不幸は蜜の味
人間は退屈をひどく嫌う。退屈の解消のためには苦痛さえ求める
退屈の起源
遊動生活から定住生活になったタイミング
環境の変化にてきおうするために大脳を使っていたが定住するタイミングで大脳を使う場面が減った
だから土器に模様などを掘って文化を形成し始めた
著者は「定住生活革命」と呼んでいる
暇と退屈の違い
暇は何もすることのない、する必要がない感情や気分が介在しない時間。客観的な条件
退屈は何かをしたいのにできないという感情や気分が介在する。主観的な状態
贅沢とは何か
生きていくために必ずしも必要でないものを手にいれ、消費すること(?)
本書では「必要の限界を超えて支出が行われること」
必要なものを必要な分だけしか持てないのは豊かではない。少しでも欠損すれば生活が送れないリスクがあるから。
つまり、贅沢は心の豊かの必要条件である。
消費と浪費の区別
いずれも必要以上に支出を行うことであるが浪費には限界がある。
食事の上限があるように浪費は満足する
消費には限界がない
消費は満足をもたらさない
なぜか
観念や意味を消費する
インフルエンサーに紹介されたカフェ、カフェは記号となり記号を消費する(紹介されたという観念を消費している)
仕事に生きるのは消費という観念を仕事に当てはめている。
「生きがい」という観念を消費している
退屈とは何か
ハイデッガー: だれもが知っているが、誰もよく知らない現象
3つの形式がある
第一形式
求めているものが来ないで待っている状態
外的要因
第二形式
退屈を凌ぐために無自覚な退屈な状態を作り出している状態
内的要因
第三形式
何となく退屈
パスカルと同じで人間は退屈から逃れることはできない
退屈であると同時に自由を得ることができる。人間の可能性の現れ
ハイデガー: 結論 「自分の可能性を選択する」
なぜ退屈するか
動物は退屈しない
人間は容易に無数の環世界を行き来できるため、一つの環世界に止まることができない
結論
1. ああしなければと思い煩う必要はない
自分なりに悩みながら退屈と向き合うということ
2. 贅沢を取り戻すこと
消費ではなく浪費(ものを受け取る)
3. 人間であることを楽しみ、動物になることを待ち構える
動物になる ≒ 本書で言う「とりさわられる」、一つの環世界にとどまること
夢中になること
自由の王国 ≒ 皆が暇になるにはどうすれば良いだろうか