20210428 『アナグマ国へ』(パトリック・バーカム、倉光星燈[訳]、2021、新潮社)
著者はイギリスの『ガーディアン』紙の記者で、この本ではイギリスでは国民的動物であるが、狩り等の残虐な遊びの対象にされたり、またウシ型結核を氾濫させた原因として駆除の対象になったりという、いろいろな側面をもつアナグマという動物について、保護をしている人やウシ型結核の被害にあった農家、またアナグマの研究者、そして活動家のシンボルとしてのブライアン・メイ(バンド、Queenのギター)等等さまざまな人にインタビューして、そして自身でも野生のアナグマを見る(アナグマ国に入る)ことを試み、これらの活動をルボルタージュのような形式でまとめている。イギリスなので、当然のように『たのしい川べ』の話が出てくる。
原著の副題は The Twilight World of Britain's Most Enigmatic Animalという。
p.7 『たのしい川べ』の話
「子ども時代には『たのしい川べ』に出てくるアナグマ氏の冒険譚を読み、」
p.64-65 1920年代、イギリスで、アナグマ狩りに参加したある人の本よりの引用。アナグマを狩り終わって
「「自分に嘘をついているような気がした。しかし、そう感じるのはただ心が弱いからではないか、とも思えてきた」」
「「額についた血が乾いて固くなった頃、私は丘を登った。人間の残虐さを、自身の邪悪さを呪った。彼らは自分たちが何をしているのか分かっていないのだ。それでも、私が何の罪もないものを裏切ったことには変わりない。飲みほしたウィスキーはみな涙となって流れ落ちた。だが、その涙は額についた小さな兄弟の血を洗い流してはくれない」」
p.71からの第4章は、『たのしい川べ』の話が多い。
p.71 『たのしい川べ』の影響について
「ケネス・グレアムは、軽蔑され、恐れられ、良くて憐れまれるぐらいだったアナグマに、全く新らしい人物像を与えた。グレアムが火をつけたアナグマにまつわるロマンは二十世紀の間じゅう続き、アナグマと人間との関係は好転した。」
p.73 ハンフリー・カーペンターという作家が、グレアムの批評を書いているらしい。彼曰く、アナグマの家の描写(この本のこの頁で引用されている)は、「牧歌的なグレアムの夢そのもの」であり、この本の著者は「大人も子どもも、アナグマの台所のこの描写にうっとりせずにはいられないだろう。」と書いている。
p.82 C.S.ルイス曰く、『たのしい川べ』におけるアナグマ氏について
「グレアムのアナグマは全く新らしい解釈であった。『たのしい川べ』の動物の世界は、人間の視点ではなく他の動物の視点からアナグマを見る機会を與えてくれる。アナグマは邪悪でも迫害されているわけでもなく、弱く頼りない動物たちにとっての心のよりどころとなっている。申し分ない誠実さを持つ穏やかな権威の体現者であるこのアナグマは、悪いイタチやテンを屈服させて成金のヒキガエルを改心させることのできる唯一の存在だ。[……C.S.ルイス曰く]「アナグマ氏の事を考えるにあたり……高い地位と下品な作法とぶっきらぼうさと内気さと善意の混ざりあった奇妙な存在である。ひとたびアナグマ氏と出会った子どもは、ヒューマニズムやイギリスの社会史について、他にはないやり方で骨の髄まで叩き込まれることだろう」」
p.83 『たのしい川べ』に応答するような、ジャン・ニードルの1990(初版1981)の小説『Wild Wood』というのがあるたしい。「抑圧されたイタチやテンの視点から語り直すことにより、巧妙に『たのしい川べ』のカーストを逆転させている。アナグマに冷たくあしらわれたことにより、この哀れなフェレットの運転手がどれほど辛い思いをしていたかを垣間見ることができる。」
p.109 「マルチ」というのは、畑の長い畝をビニールなどで覆うこと。
p.117 アイリーン・ソバーの『When Badgers Wake』という本(1955)。絵の本?
関連本、いくつも出版されたようである。
p.241から、クイーンのブライアン・メイが、アナグマ等動物保護の活動家として出てくる。
p.329 ようやく、アナグマを専門家の手を借りずに見つけられた日の感慨。故郷、場所のはたらき、経験の意味。この本の最後で、著者は故郷に帰って住居を構え、そこでもアナグマを見つける。
「私は森の中でアナグマを見つけた時の感動をロナルドに話して聞かせたが、その晩、私がどれだけ心を震わせたかを伝えることはできなかっただろう。私は故郷に帰ったような気分になった。そこが私の生まれた場所である必要はないし、昔と同じままでなくても良い。今夜イーストアングリアでアナグマと共に過ごした初めての経験が、その事を物語っている。だが、本当の意味で故郷という概念について開かれていくには、そこにじっととどまり、おそらく、たった一人で一所にいなくてはならないだろう。それは私に欠けているものであった。ロナルドが私にこう言ったように。
「「友人と一緒に田舎を歩くというのは素敵なことです。でも私みたいに、たった一人で何もない所で生活しているなら、それはまた別の話です。そこに不思議なことなんて何もないけれど、私はここで夢を見ることができる。もしあなたがこの家にいて、毎日牧草地に囲まれて過ごしていたら、きっと何かを見つけるでしょう。それが何なのかは分かりませんがね」」
p.335 発見は自身の成長ということ。
「大きな振り子時計が八時ちょうどを知らせた。ジュディーは時計の音が大きく響かないようにしていたが、これは「アナグマが嫌うから」だという。ジュディーの元を訪ねるたびに、ちょっとした新らしいことや変ったことが少なくとも十数個は見つかる。」