20210420『約束の地 上』(バラク・オバマ、2021、集英社)
大統領になるまでが、ドラマとしては面白い。その過程をこうしてまとめて見てみると、オバマが当選するならトランプも当選することに不思議はないと思う。二人とも、大衆の心を掴んで選挙に勝った点は同じなので。訳者が10人も書いてある本が2000円というのは、専門書と比較すると破格だが、それだけ売れる見込みがあるということか。表紙・裏表紙や口絵の写真は、どれも写真として完成されているもので、このあたりが日本の一般報道写真との大きな違いか。大統領時代の専属写真家は、Pete Souzaという人で、大統領以前は、David Katzという人の写真集?Barack Before Obamaというものからのものが多い。
以下に引用している部分に顕著だが、オバマは、自分自身ではなく大衆の声を伝える役、いわば鏡になることに徹して(『ジャン・ユスターシュ』で引用されていた、プルーストの、「天才的な作品を生み出す者とは[……]自分のために生きることを突然放棄し、自分を鏡のようなものに変える力を得た者のことである。[……]天才とは反映させるという力に宿るのであって、そこに映し出される光景の内在的な質にあるのではない。」にまさに該当すると思う。)選挙に勝ったのだと思う。そのためか、選挙運動は地域密着・草の根的に行われていた。この本にも現れているような、自身の失敗を認めて反省するという、人間味のある性格をうまく自身のプロモーションや選挙活動に使って、大衆に受け入れられたのだと思う。
p.72 オバマ、連邦下院議員選挙で破れたあとの反省
「あの日、シカゴに戻る機内での暗い気持ちだ。当時、私は40歳手前だった。経済的にも厳しく、屈辱的敗北を喫し、結婚生活もぎくしゃくしていた。おそらく人生で初めて、自分は間違った方向に進んでいるのではないかと不安になった。自分には豊富にあると思っていたエネルギーや楽観的な気持ち、当てにしていた潜在能力、そういったものをすべて無駄遣いしてしまったのかもしれない。さらに悪いことに、連邦下院議員への立候補は、世界を変えたいという無欲の夢から出たものではなく、これまで行ってきた数々の選択を正当化したいという思い、自己満足、あるいは自分がもっていないものをつかみ取った人たちに対する羨望を和らげるために行ったことだと気づいた。
つまり、私は、若かったころにそうならないようにと自分を戒めたはずのものになっていたのだ。私は政治家にはなったが、決してよい政治家にはなっていなかった。」
p.88 連邦上院議員選挙のときのエピソード。遊説して、各地の困っている一般大衆の話を聞いて
「私の街頭演説は、自分の主張を並べるものから、こうした多種多様な声を伝えるものへと変わっていった。それは、イリノイ州のあらゆる場所から聞こえてくるアメリカ人の声の集積なのだ。
「つまり、こういうことです」と私は話した。「出身地や外見の違いにかかわらず、ほとんどの人は同じものを求めています。何も大富豪になりたいわけじゃない。あるいは、自分でできることを他人にやってもらいたいわけでもありません」
「彼らが”本当に”望んでいるのは、働きたいと思ったら、せめて家族を養えるような仕事が見つかることです。[……]努力すれば大学の学費を賄えるようにしたいのです。[……]そして、人生の大部分を勤労に費やしたあとは、尊厳と敬意のなかで引退したいのです」
「そのくらいの望みです。あまり多くの要求ではありません。それに、すべてを政府に解決してもらおうなどとも思っていません。しかし、政府がほんの少しだけ優先順位を変えてくれればとても助かる、そのことをみんな骨身にしみてわかっています」
こうした話を、参加者たちは静かに聞いていた。[……]今話したことは真実ばかりだと私にはわかっていた。もはやこの選挙活動は私個人のものではない、私がこうやって人から聞いた話を伝えることで、みんな自分の暮らしにも自分自身にも価値があると気がついて、自分たちの物語を互いに分かち合うようになるのだ。」
p.180 章、最後の2段落あたり。アイオワ州での選挙の最後のエピソード。コミュニティとはなにか?
「「私の1票に意味があるなんて思ってなかった」と、ある女性は言った。
デモインに戻る車の中で、私たちはほとんど言葉を交わさなかった。みんな、先ほど目にした奇跡のような光景を思い浮かべているようだった。私は窓の外を流れていく小さなショッピングモールや家々や街灯を眺めた。霜のついた窓越しに見る風景はぼやけていて、なんとなく穏やかな気持ちになった。情勢がわかるのはまだ数時間先だった。その後、結果が判明した。私たちはアイオワ州でほぼすべての階層からの支持を得て圧勝した。[……]車中の私はまだその結果を知らなかった。それでも、党員集会が始まる15分前に編んケニーを離れた私にはわかっていた。たとえしばしのあいだであっても、私たちは手応えのある立派な何かを成し遂げたのだ。
冷たい真冬の夜に、あの場所で、田舎町の真ん中にあるあの高校で、私は長いあいだ求めてきた共同体(コミュニティ)を見た。そこには、私が思い描いたアメリカが現実に存在していた。そのとき私は母のことを思った。あの光景を見たらどんなに喜んだことだろう。どんなに私を誇りに思ってくれただろう。私は無性に母が恋しかった。プラフとヴァレリーは、涙を拭う私に気づかないふりをしていた。」
p.272 2008年、大統領の指名受諾演説の練習にて
「「私たちはひとりでは歩けません」。私はキング演説のこの部分を覚えていなかったが、練習で声に出して読み上げるうちに、全米各地の選対事務所で会った年輩の黒人ボランティア一人ひとりの姿が頭に浮かんだ。彼らは私の手をしっかり握り、黒人大統領の誕生が現実的な可能性になるなと考えたこともなかったと言っていた。
[……]
また、ドアマンや清掃員、秘書、事務員、皿洗い、運転手といった、ホテルや会議場、オフィスビルを訪れるときに必ず接する人たちのことも思い浮かんだ。彼らがこちらに手を振ったり、親指を立てたり、私が差し出した手をはにかみながら握り返す姿だ。ある程度の年齢の黒人たちは、ミシェルの両親と同じように、ただ静かに家族を養うために必要なことをして、子どもを学校に通わせていた。そういう人々が、自分たちの苦労の成果を私のなかに見いだしていたのである。」
p.320 祖母が亡くなったあとの、選挙前、最後の集会にて
「私は数分かけて祖母のことを聴衆に伝えた。[……]祖母が私たち家族にとってどんな意味のある人だったのか。そして、私の話を聞いている人々にとって、どんな意味をもちうる人なのか。
「彼女は隠れた英雄でした。そして、そういう人がアメリカのあらゆる場所にいるのです」。私は話を続けた。「彼らは有名ではありません。新聞に名前が載ることもありません。しかし、日々懸命に働き、家族を養い、子どもや孫のために我が身を捧げています。脚光を浴びたがるでもなく、ただひたすらに、すべきことをしようと努めているのです」
「この聴衆のなかにも、そんな隠れた英雄がたくさんいます。[……]」
「それがアメリカという国です。私たちはそのために戦っているのです」」