20200331 勉強・研究の方法について
最近、後輩の人たちにどうやって研究を進めればいいのか聞かれることが増えてきて、毎回その場で考えて話しているのですが、もう少ししっかり話せるように、一旦文章化しておく。ここでいう勉強というのは、知識や解法を記憶することを目ざす試験勉強ではなく、物事の原因や因果関係、特質や実態を明らかにすること、問題の解決方法を探ること、そしてこれらのために行う活動すべてを指す、つまり英語でいうstudyのことです。以下に説明するのは工学研究科という理系にいながらほぼ文系に近い研究をする場合の特殊な一例であって、一般的な理系の研究方法とは大きく異ると思います。随時、思いついたら書く。以下の構造は、最終的にもっと適切なものに変更されると思う。
態度・心構え
人生は実験であり、失敗というものはない
理想像の必要性
自分の可能性や将来に信憑性をもたせて、研究活動を確信をもって進めるため。
同じ研究室の先輩や指導教員が理想像になり得るのは稀。
読書その他による外部との接触によって、徐々に形成されていく。
環境・手法の重要性
自身を取りまく環境や、研究をすすめる手法を、徐々に良くするような試行錯誤を常に行っていくべき。
環境でいえば、自身の研究手法を観察して、無駄を無くすように、PCやその周辺機器を少しずつ更新して行くのがかなり重要。作業にかかる労力と時間が減り、思考に充てることができるため。
読書とそのまとめをどれだけ効率よく行えるか、プレゼンの資料をどれだけ早く作れるか、等、試験されない場合は、毎回いろいろと実験をして行くのが良い。
ゼミが活発に行なわれ、多種多様な人がちゃんと発表する研究室なら、ゼミはさまざまな手法や考え方を吸収するまたとないチャンスなので、ちゃんと頭を働かせて聞くべき。互いに変化することを期待する「対話」と捉えて参加するのが良い。
関心・問題の発見方法
態度
AにはBという性質があるのでCである、たとえばある図面(A)の右下に「増田研究室」の判子が押してある(B)のでこれは増田友也の設計である(C)、というような、BからCへと無批判に進む考え方のみでは、なかなか問題を発見できないし、発展性が少ない。(磯崎さんの文章はだいたいこれで、本人もそのようなことを言っているが、論文とはいえない)。
BからCに至るのは当然のようだが、事実はもっと複雑であり、Bのほかにさらなる条件(D)がないと、Cとは言えない場合がほとんど。
上の例でいえば、Bだとしても京都大学に別の増田さんがいた(a)・判子は作成者を示すものではなく図面用紙の所有者を示すものである(b)・増田研究室の設計ではあるが増田友也は関与していない(c)、等の事実がある場合、Cではないことになる。aは京都大学建築学専攻の歴史を調べればその可能性はないことがすぐにわかるが、bとcは簡単にはわからないので、ひとまず公開されている作品のリストに名前がないか調べる……などというふうに、その後に必要な調査がこれら別の可能性から導かれる。
こうした先入観を排除して物事を観察・判断すると、一見関係のなさそうなものからDを発見できる可能性が高まる。
問題群の保有
上のDを発見するためには、Dが不明である、という問題を常に頭の中に置いておく必要がある。
たとえば、増田さんのいう「故郷」は大体~という意味のようだが未だ不明瞭である、という問題を常に抱えていれば、一見して関係のない『C.Sルイスの読み方』から問題解決のヒントを得られる。
たしか中井久夫が書いていたし、実際にそうだと思うが、常に考えておく物事の数には限界があるため、いわゆる心配事や義務が多数ある状況は研究にはふさわしくない。
このような、常に考えておく物事を増やすには、それについて真剣に考えるのがもっとも早い。たしか森博嗣が書いていたが、2時間くらいたったひとつの物事についてじっと考えたことがあるか?というのは研究にとってかなり重要と思う。
生活から
観光客の視点、みたいな話がありましたが(『ゲンロン0 観光客の哲学』、未見)、とくに建築や都市に関わる研究をする場合、自分をとりまく環境に対して異邦人として接するのは基礎的に必要な態度と思う。
近畿圏でいえば、たとえば阪急電車と京阪電車の内装は180度ちがっていて、阪急はそうしたアメニティに明らかに力を入れている結果なのですが、京阪電車はおそらく何も考えずに白や灰色を選んだ結果としてそうなっている。
こうしたことを一度考えてみると、じゃあ仙台の地下鉄はどうだったか、九州のJRの内装は明らかに独特だがなぜなのか、ということに気づき、JR九州の場合、デザイナー(水戸岡鋭治)の思想が適切に反映された珍しい事例だということがわかり、ここまで発見できると、阪急とは何が違うのか、という比較が可能になってくる。
こうした気付きは、電車は電車でどれも一緒だろうという設計者を想定しない態度と、電車は単なる移動手段であって観察の対象ではないという、道具的・経済効率第一主義的な態度とから脱出しないと、生まれない。脱出のためには、基本的に、すべてのものは設計されてそうなっているととらえて生活するのが良い。個人的には、土木の設計事務所で農道その他の図面をつくっているときに、アスファルトの道はすべて誰かが図面を引いているのだということに気づいた。
これらの世界に対する気付きの原初は、自分はなぜここにいるのか、というものだと思うが、自分自身にあまり関心がないまま大学生まで来ると、そうした気付きの発見が遅くなる場合があるだろう。
大学の場合、さまざまな出自の学生が多いので、気付きを得るために意識的に交流を多くするのは良いと思う。
読書等趣味から
ごく基本的に、読んでいて違和感があるとか、知らなかったこと・考え方があった場合、メモしておく。
子供のころ好きだったものをまた読んでみる(ナルニアのような)。
自分の属性からなるべく遠いものを読むと、思いがけない出会いが多い。前に『日経ウーマン』を読んだ時、特集が年齢層別に書いてあって、女性はそういう世界観で生きているのかと驚いたが、そういうことは数多くある。
読書その他趣味や好きなものをもつことの重要性は、もっとこういうものが見たい(読みたい・聞きたい・やりたいなどなど)という欲求を基に、自分の嗜好を分析して自発的に未知のものに触れる機会を継続的に得ることである。
たとえば音楽の場合、おおげさに言えば文化・歴史・社会状況の縮図(イギリスのロック音楽はこの傾向がわかりやすいと思う)なので、同時多発的に同じような調子の音楽が生まれることがある。そんな中での違いに、地域や経済の差が大きく関わっている場合がある、たとえばU2はアイルランドのバンドだから英国のバンドとちがう、The Rolling StonesとThe Beatlesの違いなどなど、そうした事実から、高校までに習うような単なる知識(ここでは世界史や英語)が実体を帯びてくる。くわえて、何かが完成するまでの過程、音楽だったら演者がいてプロデューサーがいてスタジオがあって録音してレコード会社が販売するわけですが、そのひとつひとつの違いが最終的な違いになるということを実感をもって理解できる。
このように、別になんでもいいが、何かの構造や歴史にとても詳しい、もしくは趣味つまり身近なものを数多くもっている人は、それをもとに他の分野についても考えられるため、問題解決の可能性を最初から多く持っているということなので、研究者としては大きな利点と思う。
読書の方法
本の選び方
大学附属図書館の開架→大学専門図書館の開架→言及されている・参考文献から探す
最初と最後だけ読み、全体を読むかどうか決める
片面ずつ全ページをぱらぱら見て、文字の大きさ・図版の多寡・漢字の多寡・語尾(ですます調その他)から必要性を判断する
図書館の新着図書のリストから興味の湧くものを無作為に借りる。京都府立図書館は選書が上手いのか、5分の1くらいの確率でいい本に遭遇する。『C.Sルイスの読み方』はこれで発見した。
情報のための読書
副次的なものだが、ある分野について考え始める際には重点を置いて行う。
情報は、状況(歴史)・語句・手段(illustlatorの使い方、写真の撮り方など)に分けられる。
適切に編集された歴史のある(50年程度)一般雑誌が存在している場合、そのバックナンバーを読むのが最も良い。たとえばグラフィックデザインなら『アイデア』を、美術なら『美術手帖』を過去10年分読むなど。当時の状況をもとにつくられ、また編集によって選別された実例が豊富に載っているため。
建築の場合は、過去20年程度なら『新建築』と『GA JAPAN』、もう少し遡るなら『建築文化』を含める。
状況を知りたい場合はバックナンバーを各年毎に2冊ずつ読むなどしてできる限り遡る、近年の語句を知りたい場合は過去5年分を詳細に読むなど、場合によって読み方を変える。
考え方を知るための読書
これを意識的に行うことで、単なる思い付きを抽象化・言語化して活用できる可能性を高める。
情報・知識の活用方法
「関心・問題の発見方法」での、京都大学に別の増田さんがいた可能性(a)を確認するための方法として建築学専攻の歴史を調べることは思いつくが、そこから『京都大学工学部建築学教室六十年史』(1980)にたどりつくには、学科(教室)の歴史が本になっているという事実を知っている必要がある。別の論文の参考文献から、開架から、他の学部等に同種の本がある(工学部史など)ことからの類推、等、その事実に気付くにはいくつか方法がある。開架から発見する場合でも、その存在をあらかじめ認識していないと目に留まらず気づけないことが多く、つまりいずれにせよ、そういうものがある、ということを知っている必要がある。
このような、発見・類推のための知識は、関連分野の論文等を日頃から読んでおくと、徐々に増えていく。
研究を進める方法
もっとも重要なのは、仮説を考えることである。
他の資料を参照せずともそれを見るだけで内容が把握できる、自分だけのまとめ資料を逐一つくっていくのが、論文作成につながりやすい。こういうのは作業のようだがじつはそうではなく、まとめていく段階で取捨選択が入ることで考察が自動的に深まっていく。
同じく、人間が同時に考えられることは多くて7つ(真剣に行う場合は、2つと思う。経験上)なので、まとめ資料をつくることは、同時に考えなければならないことを減らしていく作業であるともいえる。
研究室のゼミ、学会の発表等、発表の場は、審査されるのでない限り、自分のために使うべき。何をどの程度行っていて、何はわかったが何はわからなかった、といったように、報告を具体的に行うと、的確な意見がもらいやすい。質疑応答の時間は限られているため、誰もが思うであろう素朴な疑問への応答は、資料に書いておいて、そういった質問で時間が消費されないようにする。
[中村:問いの発見は、研究を進めていると芋づる式に出てきますが、それを見つけるまでの地図と入口、つまり最初に自分の興味を見つけることが難しいのではないかと思いますが、そこらへんはどうですか?]
[門間:たしかにそれが難しく、大学院に入るまでの経験や生活の仕方によって興味のみつかり易さがかなり変わると思う。自分自身や周囲の世界について様々に考えた経験があり、好きなもの(嫌いなもの)がたくさんあると簡単だけど、工学部の学生にはあまりそういう人はいないように感じる。建築学科の場合は、『新建築』をとにかくたくさん見て、なんとなく好きな建築家を見つける→似たような作風の建築家をまた見つける→なぜ好きなのか考える、というやり方はあると思います。基本的にすべてのものは設計されてそうなっていると考えて生活するのもありかも。学生がいっぱいいる研究室だと、思いがけない情報に遭遇しやすいので、興味の発見は進みやすいか。]