20180319 土地の魂について
「ふたたび、土地の魂は甦るのだろうか。」(齋藤貢『汝は、塵なれば』、「この日、小高へ」より、p.17)
序
地震のときは仙台に住んでいて、そのあと何ヶ月かは普段と違う生活になったし、いまもその影響がどこかにあると思う。畠山さんの『陸前高田』とか『気仙川』をレイアウトの参考にしたり、じっくり読むわけでもない雑誌からこういう一行を見つけて引用するということを、震災前の自分でも同じようにするかどうかは、わからない。でも地震の後の3年間はそれまでと同じ場所で同じように生活していたし、震災と直接につながる、思い出と言えるほどに何かを感じた大きな変化はなかったといってもいい。だからこの詩を書き留めたのは共感からではなくむしろ驚きがあったからで、つまり、地震で土地の魂がなくなったとまでは思っていなかったのだ。
「土地の魂」はたしかにある
仙台には20年以上つまり生まれてからずっと住んでいたが、桂での生活は5年目に入ったところで、こちらでは大きな地震もその他の災害も経験していない。にも関わらず、土地の魂のような、場所についての感慨を覚えたのは、台風で姿の変わった桂川からであった。桂川は桂離宮の東を南北に流れている一級河川の大きな川で、家から近いので一昨年くらいから一時期は毎日のように写真を撮りに行っていた。とはいえそこにあるのは珍しくもない川沿いの風景であって、桂川を撮るために桂川に行っているわけではなく、撮影の練習のために行っているだけだった。桂川でなければということはなく、人が少なく広々として車の通らない自然があれば別にどこでも良かった。そんな桂川に、いつもどおり台風が来たのが去年の11月だった。台風の直後はこれまでとは違う写真が撮れると喜んでいた。けれども季節が変わっても相変わらずゴミだらけで、風の跡を残すように曲がったままの灰色の植物が地面を覆っている風景は、新鮮味も薄れ、ある種の悲しみや不安を誘うものに変わっていった。台風の被害を考慮してか、橋を挟んだ北側は工事中で、重機は川の中を動いていたし、そこから朝日を何度も撮った「飛び込み台」は壊されてもう跡形もなくなっていた。この風景はまた元に戻るのだろうか?自然に還らないプラスチックはずっとこのままなのだろうか?枯れたような木々は死んでしまったのではないか?土地の魂は甦るのだろうか?
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土地の魂の実感:その消失をきっかけに
このような風景の変貌を見てしまったことで、自らの中に何か新しい感情が生まれた気がした。
思考の経緯
人間の自発性とペレニテ(永遠性)[前川國男]→「風景」と「ethnos」≒精神的な故郷[増田友也]→詩からの触発、桂川に対する実体験→『建築的場所論の研究』による「場所」の再認識
この前の『新建築』に震災復興関連の学校がたくさん載っていたこと、この前3月11日だったこと、最近「場所」ということを考える機会が何度かあったこと、『チェルノブイリの祈り』をちょっとだけ読んだこと、そしてこのころようやく桂川に緑が戻ってきて嬉しかったことなどなどからいろいろと考えた。そういえば、最近の「場所」への関心は、前川道郎(編)『建築的場所論の研究』()を読んだことに起因していると思う。もちろんそれに加えて、3年前よりずっと考え続けている、増田友也のいう「風景」とか「ethnos」というのはなんなのか、という疑問が根本にある。 土地の魂とは:
ノルベルグ=シュルツの言う「地霊」とは似てるようで異なるもの。
愛着という言葉では説明しきれないもの。
自分が見ていない時の姿に自然と思いを馳せるくらい、自己と一体化しているものが対象である。
しかし、その対象は自己よりも上位の存在と認識されている。
たったひとつの、数えられない場所(不可算の場所)に与えられることが多い。
その喪失の悲しみは、自己の記憶が疑わしくなることと、自己の一部分が消えてなくなることという、2つの現象によって起こる。
スピノザのいう「無限存在としての神」とおそらく同義。
以下、Twitterより……未整理。ライトの言う「大地」は、ライトの夢想するユソニアにとって必要なそして普遍的な「土地の魂」。増田友也の場合は、ethnos≒精神的な故郷、がこれにあたる?
a.
精神的に所有している自らの財産と捉えていた風景の永遠性(=聖性、前川さんのいうペレニテ)を剥奪されたある意味では宗教的な悲しみ。それはその場所とそこでの空間体験が何か肯定的な感情をもたらすほどに自らの中で成長し自己の一部を占めるようになった風景が変わっていくということに起因する。
建物は遅かれ早かれ無くなるものだだ、自然物は少なくとも自分よりは長く存在するはずだ、ということで自らより明らかに上位の存在として認識しているため、それが変わったり無くなったりすると多少の宗教的な喪失感が生まれる。
生まれてから何十年も同じところに住んでいた人なら、その場所と自らの同化がもっと進んで「土地の魂」とか自然と言うほどにその場所の人格が形成されているのかもしれない。そうなると様々な感情だけでなく観念までもが場所によって呼び起こされても不思議はない。
突然よそから来る自称建築家の人たちと、地元の人たちの間で話が通じにくいのは、そもそもの建築の人たちの使う言葉の意味が一般から乖離してることに加えて、地元の人たちがその地について語る言葉の背後に多数の言葉にできない観念と感情が含まれているからではないのか。
それと、国とかがその場所の姿を大きく変えようとするときに反射的に反対するのは、よく言うように思い出がとか記憶がとか歴史が、ということに加えて、やはり自らより上位の存在である場所を自らと同じ(かそれ以下?)でしかない人間が変えてしまうことへの、土地の魂への信仰からの反発、といえる。
b.
風景の急激な変貌の悲しみは、記憶という自己の一部が疑わしくなることと、自己と同一視していた場所の永遠性・聖性・超越性を疑わざるを得なくなることとの、自分自身もしくはそれを含みつつ超越しているものという2種の自己への不信感が原因といえそう。
東日本大震災で仙台の町中も結構な被害を受けたはずだが、その変貌の衝撃が台風でちょっと姿が変わっただけの桂川よりもはるかに少ないのは、仙台市中心部を自らの所有物だとは全く思っていないからだろう。東北大のキャンパスがどんなに変わろうとなんとも思わないのも同様。
建物はそもそも一時的な存在だというのと、山・川・原その他自然物は(実際には国やその他所有者はいるが)誰のものでもない=自分のものといえる、ということがあるだろう。
何百もある建物が多少なくなることと、認識としては不可算つまりたったひとつしかない場所の変貌とでは、その衝撃の多寡が比較にならないほど違ってくるのは当然。建物はそもそも建てられたものだから再建の可能性を潜在的に備えているが、自然物は直接には再生できない。
c.
町にたったひとつしかない中学校は、その地の人達にとっては山や川と同じく不可算の場所になりうる。逆に言うと、大都市の役所がどう変わろうと何の感慨もないが、小さい都市の古い・汚い役所に対して地元の人が早く建て替えてほしいと思うのは当然。つまり自己投影の度合いがぜんぜん違う。
これは、たぶん贈与論も多少関係してくる。こちらからの何らかの関わりに対して何かを与えてくれているかどうか。互酬性とはちょっと違うが、それに近い状態があるかどうか。
d.
かつての建築家のひとたちが「有機的な」建築を目指していたのは、山や川などの自明に有機的な存在と同じレベルまで建築をなんとか引き上げて、その建築が不加算のものになることを願っていたからかもしれない。変貌の構造化も、自己再生能力を備えた有機物への接近と言える。