習い事をやっていたことに対するコンプレックス
ピアノを習っていたけど、講師の資格を取る前にやめてしまった。 資格を取らずにやめるなんて、お金を出したり送り迎えをしたりしてくれた親に申し訳ない。
書道を習っていたけど、行書を習う前にやめてしまった。 上級者向けのプログラムを修了していないわけだから、それを習った人には及ばない。
こういうのが長年自分の中で「振り返りたくないというほどではないけど、少し重たい気持ちになる」くらいの後悔として残っていた。 だから、自己紹介のときも「いちおう習ってましたけど、全然ですよ」とか、謙遜や自虐に見せかけた予防線を張っていた。 でも、先日ノートに考え事を書き出していたとき、いきなり思ったのだった。 もちろん、ピアノ講師や専業ピアニストと比べれば、自分の技術は低い。でも、まったく未経験の人に比べればじゅうぶんうまいと言えるだろう。じっさい「弾けない人間からすると、右手と左手が別々に動くだけですごいよ」と言われたこともあるし。
それなのに、「経験者」を名乗れるのはプロレベルの人間だけであると勝手に決めつけていた。それに満たない自分が自信を持つことは「おこがましい」「許されない」とも。
許されないって、誰に? 自分は生きるにあたって誰の許可を得ようとしているんだ? 話し相手から「ピアノをやってましたけど、資格を持ってないのでたいしたことはないです」と言われたら、自分は「あ、それなら確かに全然たいしたことないですね」と思うだろうか。「書道の賞をもらったこともありますけど、褒められるようなものではありません」と言われたら「うんうん、なるほど、褒めるほどのものじゃないですね」と思うのだろうか。
いやいやいや。そんなわけないやろ。
このへん、自己肯定感とはまた別のトピックで、ものごとをフラットに見るとか、要素を削いで冷静に価値判断するとか、そういう能力が関わってる気がする。 「これが自分じゃなく他人の話だったら、自分はその人に対して同じ評価を下すのか?」
「下さないとしたら、なぜ自分か他人かで評価が変わるのか? なにかバイアスがかかっていないか?」
「男女を逆にしたらどうか?」
「親子じゃなくて赤の他人だったらどうするか?」
とかとか。