性格悪いのをアイデンティティにしてる人が苦手
承前: 苦手な人と付き合いを続けることは消極的な自傷行為である
で、ここ数年で自分の価値観が少しずつ見えてきたので、どういう人と一緒にいれば幸せでいられるか、どういう人を避けると安全かがわかってきた。『安全』というのは、自分の心身の安定が保たれるということ。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
昔は「苦手なタイプは?」とか訊かれるの本当に苦手だったんですよ。その質問に答えたら自分が嫌われるんじゃないかって怖くてさ。この感覚わかる人、絶対ほかにもいると思ってるんだけど。一定数の人間を「苦手だ」「合わない」、よもや「嫌いだ」とかって切り捨てるの怖くない?
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
でも最近少しだけ怖さがマシになってきたのでここに書き留めておくと、自分はどうやら「口が悪い人」と「"性格が悪いこと"をよりどころにしてる人/コミュニティ」が苦手っぽい。怖さがマシとか言ってる割には手汗がすごい。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月30日
具体的に言うと途端に話が小さくなる気もするけど、あるじゃん。「うちらまじクズすぎるww」みたいなノリを軸に置くコミュニティとか。ああいうの本当にわかんなくて、怖い。なんで? と思う。さっき『性格が悪い』と書いたのはちょっと違ったかもな、『誠実でない』がより正確な気がする。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
自分のことをよい人間だとは思ってない(謙遜じゃなくてまじで思ってない)けど、よくありたいとは思ってるんですよ。自分の中で『よくありたい』とは「誠実でありたい」ということで、そのためにはよくないあり方をしている(先の例だと『クズ』である)状況に居場所を見出してはいけないと思う。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
だから、自分が今までいろんな方々にさんざん迷惑をかけたことを「仕方がなかった」と結論づけたくない。仕方がなかった、だとそこで話が終わるから。自分の過去を償うために、自分にはよくあろうとする義務があると思っている。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
なので、誠実でないことに安住の地を見出してどっかり座りこんでる人を見ると、怖い。あんまり見ないようにしようと思う。引っ張られたくないから。そこに座り込んだら終わりだと自分は思ってるから。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
んで、よくある=誠実である、とはすなわち「真摯である」ということだとも思っていまして、ものごとを真摯に受け止めたら刺々しくガサガサした言葉って出てこないと思うんですよ。真摯に受け止めたうえで、あえてThe 鋭角! みたいな言葉を選ぶ場合は別として。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
逆算すると、トゲトゲ・ガサガサした言葉を使ってるということは、ものごとの受け止め方そのものが自分とは違うんだな、と判断できる。ので、畢竟その人とは価値観ごと合わないかも、と判断する材料にもなる。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
対象がわし自分あんま好きじゃないコンテンツであっても、なんか他人がくそみたいな言い方してるの見ると気分悪いんですよ。「わかるww」とか「うけるww ざまあww」とか全然ならない。うわなんやこいつ怖、ってなる。たぶんそれは、その言いざまから透ける「コンテンツへの接し方」に嫌悪が生じてる。
— 🥟わくの餃子早包み(V19) (@Wakupedia) 2018年12月31日
誤字ってる
誤: わし自分あんま好きじゃないコンテンツ
正: わし自身あんま好きじゃないコンテンツ
c.f.
/marshmallow-rm/私は小さい頃から悪口を言うことが嫌いです
悪口を雑談に使う人達は悪口が雑談として消費される社会、自分が不在の時は自分の悪口が人間関係の潤滑油として利用される社会でしか生きられません。
#自分の理念