他者を見下す自分に気づいてしまった
他者を見下す自分に気づいてしまった | 結城浩のお話
キリスト教で「悔い改め」をする理由の一つはここにあります。人間は失敗する。醜く私利私欲に走る。自分さえ良ければいいと自己中心になる。人間は、例外なくこれです。しかしながら「そのような自分をよしとしてしまうこと」と「いや違う、自分のこんな行動や思いは本来はよくないのだ」のどちらを選ぶのかという選択が残っています。後者を選ぶ姿が「悔い改め」となります。
自分はこんなふうに思うべきではなかったとか、ああ振る舞うのは不正であったとか、わざと意地悪をしてしまったとか、自分が優位に立ちたいためだけにこんなことをした…というときに「あなた自身」は本来どうありたいと願うか。選択です。
どうせ俺は私はこんな人間なのさ、選択も何もないと思うかもしれません。でも、あります。何度失敗しても、何度私利私欲に走ってしまっても、選択は残っています。あなたが生きている限り、この世で生きている時間のあいだ、選択はまだ残っています。本当の解決に至る選択です。