インパクトこそが正義だと勘違いすると正気を失う
短くて強い言葉は一長一短だと思っているんだけど、先にバズったもん勝ちなところがある最近のSNSではその「短」の部分が無視されがち。
インパクトのある、短くて強い言葉が面白がられる。拡散されて同意を集めて、「世論」として取り上げられる。
議論というのは、早押しクイズや大喜利とは違うだろう。丁寧に慎重に行われるのが大前提であるはずだ。
ぱっと見でインパクトがあるとか、過激で痛快な語り口であるとか、そういう一瞬の感覚で評価されるものではない。それらはアクセントであって、大切なのはあくまでも主張の中身。
瞬発力が正義だというなら、熟考して主張を組み立てることは悪なのか。
という私のモヤモヤも、もはや早押し大喜利大会と化しているタイムラインには放流する機会さえ見出せなくて、エスカレーターにいつまでも乗れない子どもみたいに二の足を踏むだけの日々が続いている。
c.f.
この世は早押しクソ当てゲームではない