花曇りそこなるひとは人間か
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NHKで技能実習生の労働問題が取り上げられていた。人を人とも思わぬ所業が繰り広げられていて、そこに向き合う弁護士が紹介されていた。
人を人とも思わぬ、というと、吉野家の常務による早稲田の講演も、実は、同じことである。大量生産品のマーケティングとは統計としての側面があり、その本質として、人を人として扱わない一面がある。
「生娘をシャブ漬け」という表現はさすがにちょっとどうかという話だが、なぜこの表現に反応するかというと、表面的には女性蔑視の文脈であるが、本質は、お客様に対する敬意がないじゃないか、一人前の人間扱いしてないじゃないか、ということである。
同じことを知的にお洒落にいまふうに解説しているコンテンツがあっても批判の対象にならないのは、批判する側に、批判対象を無意識のうちに選択するフィルターが備わっている。
ウクライナで現在進行している大問題についても、実は問題の根本は同じである。なぜ、人間に対して残虐なことができるのか。人間だと思っていないのである。
こちらの問題においても、同情が選択的である、という問題が発生している。
遠い国のニュースに悲憤慷慨するのも良いが、その義憤を通して自分を善良な人間だと慰めてはならない。人を人とも思わぬ事態は、一見、平和に見える社会にも内在している。
無意識のうちに己が犯している罪を棚に上げて、海の向こうを批判しても、何も変わらない。