半年のスランプ抜けて天の河
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半年のスランプ抜けて天の河
2024/7/18
振り返ってみれば、今年の1〜2月と3月ぐらいまでは、ちょっと頭がどうにかなりそうなプレッシャーのなか、ただひたすらに、仕事をこなしていた。
予定に穴を開けてはいけない、あの人やこの人の、顔をつぶしてはいけないという義務感が先に立っていて、いつしか、仕事をする喜びを感じるということが、できなくなっていっていた。
こうした症状の怖いところは、自覚症状がない、ということである。
主観では、普通にまともに仕事をしている。
しかし、気づかないうちに、心に穴が空いたり曇ったり、気付けば刃を他者にも向けている。
常に苛々として、怒りっぽくなり、実際に怒りも発することも多かった。具体的に体調も崩した。
自覚症状がないとはいえ、さすがにこれ以上は仕事をやっていけないのではないかという疲労感が、とうとうピークに達して、ようやくそこで、仕事を断るようになった。同時に、依頼が来なくもなっていった。
ただ、車は急に止まれない、の言葉通り、急に全部がなくなるわけではない。
徐々に休める時間が増え、ようやく時間があいてくると、今度はその先の予定が埋まっていないことに対する恐怖感に襲われる。しかし、研修業もコンサル業も、さすがにもうこれ以上は、どうにもこうにも、やりたい、やろう、やれる、という意欲の枯渇が深刻なのである。
さりとて、いつのまにか長い事、それしかやらない生活に染まっていて、別のことができる気がしない。
方向転換することに対して、楽しみだワクワクだという感覚が出てこない、恐怖感ばかりが先に立つ。
なかなか辛い時間である。世間の何にも役に立っていないような気がしてしまう。
心の何処かで、実際にはそうではない、とは思っている。
客観的な事実関係としても、「何にも役に立っていない」は、さすがに言い過ぎだと思う。
しかし、主観的には、絶海の孤島のような寂寥感が、うっすらと漂い続ける。
それは一人社長という生き方のせいだろうか。
まぁ、ないとは言わない。
が、きっと、会社に所属していたとしても、孤独感があることには、変わらなかっただろう。
(実際、会社員時代にも、割と似たような孤独感を抱えていた)
ともあれ、まぁ、疲弊感が蓄積していくなかで、客観的に、そういう状況がくること自体は想定していた。なので、気力体力の限界のかたわら、以前から甘噛みしては諦めていた動画作りに再びチャレンジしていったのだった。当時の思惑としては、一度スローダウンはするものの、この動画企画が効いて、再び巡航速度を回復できるだろうと、そういうふうに計算していた。
その計算がなかなか当たらない。
そこからの七転八倒は、たぶん、独立以来最大の産みの苦しみだったような気がする。
色んなものを手離したり諦めたり、方向転換もしてみたり。これでもかという藻搔きの果てに、ひょんなところから、嬉しいニュースや元気が出る仕事が、いくつかポコポコと続いた。昔読んだ本を読み返し、新たな本にも出会い、なにかこう、考える方向の転換めいたものがでてきた。
そんな折に、ふとした拍子に思いもかけない依頼が舞い込んだり、相談を受けたり、そういうことが続いて、ようやく気持ちが少し、明るく、そして軽くなったのが、ついここ数日のことである。
開発行為というものは、それそのままの形で生きるというより、その斜め上の未来に連れて行ってくれる。
そのことが、不思議だし、面白い。
***
過去も未来も手離す。
そこにしか、活路はないのだ。
そう言える心境が戻ってきたのは、悪いことではない。
***
まぁ、なんだ、こうして振り返ってみると、精神的にボロボロのなか、それをうまく意識化できずに、ただひたすらに無駄足掻きをしていたなぁと思う。そして、世の為人の為に仕事をしようしようと言いながら、自分のことすらままならないことに、我ながら呆れる。なんど同じ失敗を繰り返しても、直らない。
無駄足掻きができるのは、まぁ、贅沢な話ではある。無駄とは遊びであり、遊びなきところに、創造はない。
それはそれとして、命題として真だとは思う。
思うんだけど…
今回ばかりは、ちょっとさすがに、大変だった。
結局のところ、精神のバネは、若干伸び切ったままである。だから、ちょっとまだ本当は、再起動には早いのだ。
なにかこう、心の洗濯のようななにかを経て、そのうえで、生きる動機を甦らせたい。