初空や型からこぼれるは心
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初空や型からこぼれるは心
(句意)
2023→2024はインフルとコロナに、あいついで罹ってしまい、なかなか経験したことのないない年末年始だった。かなりの長期休みにしていたのだが、その大部分を寝て過ごした。
思い返せば、2023は、かなりハードな一年だった。いや、独立してからこのかた、ずっとハードに生きてきたような気がする。
純粋な仕事時間、作業時間、拘束時間は、サラリーマン時代の3分の一ぐらいになり、時間あたりの獲得可処分所得も3倍ぐらいにはなったので、そういう意味では、生産性は10倍くらいになった。単純に見れば、楽といえば、楽な暮らしではある。
しかし、密度であったり、リスクやコストの取り方、プレッシャーといった面も考慮すると、全体としての評価値は、手離しでプラスといっていいのか、どうか。
頭が受け取っている暮らしへの満足度、充足度は、諸手を挙げての大満足なのだが、いかんせん、まだ、身体が対応しきれていない。
年末年始に寝込んでしまったのは、やはり、どこかに無理があったことの証左なのかもしれない、と、思っている。
そんなことを思いながら、2024は、改めての、暮らしと健康の立て直しがしたいなぁと思う。
仕事仕事しすぎないように。
といっても、なんだかんだで、なにかを思いついたら動かないではいられない性分なので、そこがいつも悩みどころなのだけれども…
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ぼんやりとした頭で視聴した、年明け初回のNHK短歌が、良い内容だった。
破調、つまり字余りや字足らずを扱っていた。型がなければ破調もないこと、そして、破調には、それをするだけの必然性が必要なのだ、と話していた。
つまり、定型にはおさめていられない内心があって、初めて破調が起きるのだ、と。
参考
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12835601405.html
「なっちゃった」破調は、全然、駄目だ。
音、リズム、情感、モチーフ、そうした諸要素が渾然一体となり、結果として破調が成立して初めて、破調の意味が生じる。
破調が成就するためには、型を知り尽くさなければならない。過去に詠まれたものをひとつでも多く読み、一歩でも深く詠み直し、迫っていく。
破調は、形式との対決である。
それはすなわち、歴史との対決でもある。
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去年の後半に、型と心の教室、というコンセプトを見出して以来、この、型と心という二つの言葉を互いに相照らしながらものを考えてきたわけだが、この、破調という言葉に、目を開かされた。
型に収まりきらないもの、型から滲み出る、はみ出す、零れ落ちるもの。それが、心なのである。
初案は「心とは型から溢れ出る光」だった。無季の句として成立するか、心許なかった。七七をつけて短歌にしてしまうことも考えたが、正月の陽の光も感じたいと思って、「初空や」としてみた。
とはいえどうも、少々理屈っぽいような気がしていて、また俳味という面でみても、どうかなぁと思う。俳句と言えるのだろうか。心許ない。こぼれる、よりも、こぼるる、溢るるが良いのかしらとか、そのあたりも、心許ない。そのあたりの心許なさが、独学の悩みである。
それでも、これは、自分としてはとても大事にしたい一句ではある。自分の中では、芭蕉翁の「青葉若葉」に比するものだと思っている。