あるべきやうわ
https://scrapbox.io/files/64224010bc6751001c9ca182.jpg
京都駅から電車で一時間以上離れた山奥に高山寺という寺がある。ぼくはまだ行ったことがなくて、つぎ京都へいくときは必ず訪れたいと思っている寺である。鳥獣戯画といえば知っているひとも多いと思うが、ここは鎌倉時代に生きた明恵上人が開いた寺院である。
開祖高僧と言えば空海や最澄、栄西、親鸞、法然などと名前が浮かぶが、明恵はこうしたひとたちと肩を並べるくらいの名僧でありながら世間的にはほとんど知られていない。しかしぼくは明恵上人に深く共感してしまう。そしてそれがぼくの長所であり同時に短所である。
真言宗や禅宗、浄土真宗など全国規模で有名な宗派を打ち立てた開祖たちは、現代の言葉でいうならばプロデューサーである。彼らは持ち前のプロデュース力によって自らの宗派を宣伝し、門徒を獲得し、支配基盤を固めて経済的にも成功した。一方明恵はアーティストだった。弟子をとることもあまりせず、民衆に教えを広める活動もせず、ただただ自分のことにひたむきだった。だから明恵の華厳経は今となってはほとんど絶滅危惧種となってしまった。自分は現世に生きるものであり、後世をどうこうしようなどとは少しも考えないというようなことを明恵は言っている。明恵にとって大切なのは今だった。
明恵の願いはブッダに近づくことであり、目標はブッダの土地に行くことだった。ブッダは明恵にとって憧れと尊敬の対象だった。明恵はブッダだけを愛していた。実際明恵はインド渡航に二度挑戦しているが、どちらも失敗に終わっている。だから明恵はなおさら瞑想に打ち込んだ。瞑想の力でブッダに触れようとしたのである。
明恵上人の残した言葉に「あるべきやうわ」がある。高山寺に行くと飾ってあるという。僧は僧のあるべきやう、俗は俗のあるべきやう、……このあるべきやうを背く故に一切悪しきなり、と説明している。ぼくは自分の本分を違えるなということかと解釈している。本分とはなにかと言えば、主体的になれということだと思う。いちいちひとに流されず自分の中に主体性を持つということだ。主体性を持つとは今風に言えば自分らしくあれということである。しかしここでアランの助言に従えばそれは自分のことを考えるということでは決してない。アランは自分のことを考えてはいけないと口が酸っぱくなるほど繰り返している。
クリエイティブであることとか、なにかを批評するとか、自分の言葉で説明するとか、そうしたことは主体性がないとできることではない。独立するひとももしかすると主体性を持つことは必要かもしれない。
明恵はいかなる宗派にも興味を示さず、仏教の開祖であるブッダそのひとだけを思い続けて生きた。瞑想は明恵最大のクリエーションだった。そのひたむきさ、つきつめる思いの深さにぼくは共感する。そして自分のものづくりの態度もそれに近しいことを感じてたぶんそれは長所なのだろうと思う。
一方で明恵は内に篭り山に篭り自分の内宇宙を旅することにしか興味を示さなかった。それでよかった明恵と違いぼくはちっともそれがよいとは思えないが、ともすればそうなりがちな自分がいてそれは短所であると考えている。ぼくはもっと自分のやっていることを広げたいと思っているし、ひとの役に立ちたいと思っている。明恵は言うだろう。だからあるべきやうわなのだと。
色々と言葉足らず。つづく、かもしれない。
ゴトーさんに褒められて気を良くしたので続きます(笑)。
明恵は弟子をとりたくなかったが教えを請うひとがあとからあとから現れて断りきれずについに弟子が五十人を超すまでになってしまった。すると一番弟子だった喜界がこんな相談を持ってきた。
ひとが多くてうるさくて仕方がないから一人で山に籠もって修行をしたいのでそのお許しを頂きたい、という。
明恵はそこで、最終的にはキミ自身の判断に任せるが、と前置きをしてあるエピソードを話して聞かせる。
とある目的地にむかって健康な男と足の悪い男が向かっていく。健康な男はどんどん進んでいくが、途中で寝転ぶのにちょうどよい石を見つけて休憩をする。そしてうっかり眠ってしまいはたと気がついたときにはもう夜になっていた。一方足の悪い男は苦しみに耐えながらも進んだためすでに目的地についていたという。
うさぎとかめそのままのエピソードであるが、明恵は環境が良いことと、修行に励むことはことを同じくしないと言ったのである。時として良い環境に安住してしまうと、いたずらに時間ばかりが過ぎてしまうことにもなりかねないのだ。
みんなで一緒に修行を行うということは、会社で働くのと同じようなことである。ルールが生まれ、スケジュールが立てられて、やるべき役割さえ与えられるだろう。そしてなによりも強制が場を支配する。一方で山に籠もって一人で修行するというのはぼくのようなフリーランスに相当しないだろうか。明恵は外からの強制力がないところで自分を律し厳しい修行を行うことの難しさを暗に説いたのである。喜界は山に籠もることを諦めた。つまり現代なら会社を辞めなかったということか。
ぼくは辞めた。つまりそれはより主体的になって修行に励まなければいけないということである。そしてその難しさを乗り越えなければ先がないということである。
真剣に遊ぶ
明恵上人は遊びの達人でもあったと思う。
石を拾ってきてそれを慈しんだりする。それがきれいな石だとか珍しい石だからというのではない。いわゆるコレクションとしての興味はまったくない。海辺で拾った石がもしかしたら遠くインドから流れ着いたものかもしれない。インド行きを夢のお告げによって断念した(それも二度も!)明恵にとってたまたま目についたその石ころに繋がりを感じたのだろう。
明恵は島に手紙を書いた。背景島さま云々かんぬんとまるでひとに手紙を書くように島にむかって手紙をしたためたのである。華厳の教えに従えば砂粒ひとつにも宇宙があり仏が宿るのだから島もまた宇宙であり仏であると考えることができる。しかしだからといって手紙まで書いたひとはたぶん明恵の他に例はないだろう。それで、その手紙を出してこいと弟子に言うのである。困った弟子がどうすればいいのですかと聞くと、海に投げてくればいいというのである。真面目な弟子はますます困ってしまって海に投げられずにとりあえず保管することにする。困った弟子をみて明恵が笑いをこらえている姿が目に浮かぶ。
明恵は桜の木にもまた手紙を書いている。それも華厳の教えに従えば……であるが、そこに着想を得たとはいえ、明恵自身が楽しんでいたのだとぼくは思うのである。しかも、真剣に楽しんでいたのだと思う。
そうした遊びは厳しい修行の余暇ではなかった。行為としての区別はあっても、その中身に関して島に手紙を書くことも瞑想の修行に励むことも明恵にとって違いはなかった。島への手紙を託された弟子はどう思っただろう。上人さまのお考えはわからぬ、か。ぼくはそこに真剣に取り組むことの大事さを見る思いがした。華厳の思想やブッダへ近づきたいという思いを抜きにしても明恵はきっと島に手紙を書いたに違いない。遊ぶならとことん遊び尽くせ。真剣に遊べ。だってそうしなかったら本当の楽しみは得られないだろう?
大体スポーツというのは、子どもの遊びを大人が真剣に取り組むから面白いのである。だからスポーツの根底は遊びである。島へ手紙を書くことである。日本にはスポーツという文化が全然なくて、あるのは人殺しの技である武術であり、それをルール化した武道しかない。子どもの遊びを大人がやるなんてちゃんちゃらおかしいといって二千年経ってしまった。もっともずっと貧しくて忙しかったから遊んでいる暇などなかったのだろう。
鎌倉時代に、子どもの遊びにしか見えないようなことを真剣に行っていた明恵はやはりすごいのである。それを現代の学者たちがこぞって研究しているのだからまったくもってすごいのである。真剣に遊べ。明恵にとって遊びも仕事もそこに境界線はなかった。なにごともただ一生懸命やっただけのことだった。
永井聡史