第18回 相互作用 その3
まずはすでに紹介したアルバムから。
相互作用といえばこのピアノトリオを忘れるわけにはいきません。「相互作用」を和英辞典で調べると"interaction"がまず出てきますが、音楽では"action"とは"play"のことなのて?、"interplay"という言葉がよく使われます。「インタープレイ」は、このトリオの代名詞となっています。 ピアノのやわらかくキュートな音と、ベースの硬く重い音が、互いの距離を縮めたり離したり、身を任せたり突き放したりしながらからみあう。まるでペアで踊るダンスを見ているようです。
次はドラムスがすごいアルバムです。
http://www.catfish-records.com/nyumon/18/image.jpg
George Coleman (ts)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
1964年2月12日録音
1.So What
2.Walkin
3.Joshua
4.Go-Go (Theme and Announcement)
5.Four
6.Seven Steps To Heaven
7.There Is No Greater Love
8.Go-Go (Theme and Announcement)
小学校に入ると音楽の時間にまずやるのは、みんなで同じ旋律を歌う「斉唱」ですね。独立した個々人の出す、音色の異なる複数の音(楽器や声)が、同じメロディ、同じリズムを演奏するときに感じる「合ってる感」。それをよろこびと感じる。そしてそれが演奏にも反映される。これが僕らの経験できる最もプリミティヴな「相互作用」ですね。 学年が進むと、輪唱や合唱で旋律・リズムをずらしていき、それでも「合ってる感」が維持されることを知る。それは「やる側」だけでなく「聴く側」も共有できる。
そして、ズレが大きいほどテンション(緊張)が高まり、感覚がとぎすまされ意識が覚醒する。もちろん、ズレが大きすぎると、伸びすぎたバネのように切れてしまう。(「切れる」のは演奏が破綻することだけでなく、聴く側がついていけなくなることも含みます。) ふつうやる側の破綻がまぬかれているのは、前もって充分に練られた「楽譜」があり、それがいつでも「みんなが帰る場所」になるからですね。ジャズの場合、コード進行が楽譜のかわりに「帰る場所」になりますが、そのとどめておく力は弱い。コード進行→モードとなるにつれ、ますます弱くなる。だから各自の演奏の「自由度」が高くなります。 しかし(ジョン・ケージが言うように)各自が勝手に演奏していては音楽ではなくなります。少なくともジャズではなくなる。だから、一種の「コンセンサス(合ってる感)」をその場で即興でつくる必要があります。つまり、「自由」に「責任」がともなう。その責任感が、ジャズの「聴きごたえ」につながる。 モードジャズは、アドリブソロの自由度だけでなく、リズムセクションの自由度も高めている気がします。その結果、切れるかどうかのギリギリの緊張感がうまれるし、聴く側の力も「許容範囲」によって試される。つまり演奏者と聴く側の間に「真剣勝負」があります(第5回参照)。