058.朝日を浴びる
中学3年→5年後大学生
後顧の憂いは絶っておくに限る。
「僕、待たない方がいい?」
「……佐野と相羽のこと?」
クラス社会に興味なさそうな顔して人一倍距離感と存在度を測っている雪だ。ちゃんと僕の言いたいことをわかっていた。
「そもそも別に無理して待たなくて良い」
「いや待ってるんじゃないし。宿題と予習やって本読んでるだけだから。ついでに雪拾って母さんの晩御飯のとこまで連れてってるだけ」
「同じ家入ってるとこ見られたら面倒そう」
雪にとって迷惑になるなら本当にやめておいたほうがいいと思っていた。
「でもいいよ。部活帰りの奴らの波からちょっと遅れるし。なんだかんだ小学生から一緒のやつは俺のことお前の保護者だと思ってるし。むかつくけど」
「保護者? ああ、まあそうかー」
「納得すんな」
浮いている髪の毛が収まる程度に弱い力で、ノートが頭に落とされた。だって困ったときほぼ100%雪が助けてくれてるんだもんね。
「告られたら絶対教えろよ。そのとき俺が何も知らないでお前と喋ってたらそれが一番めんどい」
「それ断っても?」
「なんなら断ったときのがやばいだろ」
そりゃそうか。
「伝わんないもんだなぁ」
友達以上の何かを見出して、話題作りに必死だ。みんなの世界は狭くて制限されていて、他に喋ることがない。あんまり逸脱したことに興味持つと、出る杭は丁寧に打たれる。
「……まあな」
「雪の苦労を身に沁みて感じる」
「だろ?」
「雪も僕に言えよ」
「ないと思うけど」
「僕もそう思うけど、そう思い込んで判断を誤ったときが一番怖い」
夕闇を過ぎたらどこに寄り道しても大して怒られない。今どき塾や習い事で忙しくする中学生は多いんだ。ほら、駅向こうの中学生がコンビニに入っていく。
「お前、告られたらオッケーすんの?」
「しないよ」
「え、即答」
「しないしない。だって、こんなヘボ体に付き合わせるのはちょっとね」
何気なく言ったのに、雪はものすごく目を見開いて足を止めた。だって事実だよ。
「お前……」
「病気に付き合うのって大変なんだけどさ、最近思うんだよ。周りの人のほうが大変だって。僕は大変さを振りかざして周りの人を傷つけていないかって」
クラスメイトの友情を疑ってはいない。それはそれとして別の問題で、クラスメイトが病院に見舞いに来ないことを信頼している。来ない方が良いんだ。確かに退屈だけどね。その分目の前の友達にはかなりの負担を強いている。
「だから雪も」
「おい」
「……ごめんって」
察しが早いんだからさぁ。
「しょうもないこと考えて。熱?」
「ないよ多分。というか僕が入院中懸命に考えたことをしょうもないこと呼ばわりしないでよ」
「……あんまり自分に当たるなよ」
自分に当たる。なるほどね。
またかという諦念。久方ぶりの外の空気。雪は表立って心配そうな顔をしない。していないつもり。でも結局それは僕のために心を砕いてくれていることに他ならない。今部活で苦しい思いをしている雪をフォローしたいのに、僕ばかりフォローさせている。自分の性別のことが周りにバレないように、慎重に気を遣って息を潜めている雪を目立たせてしまうのは、ずっと僕に関するハプニングばかりだ。
雪は良い友達だから、できればこのまま、気軽に話したりできる関係でいたい。でも、静穏を望むたびに肺と喉が波立つ。早く放すべきだと思っては夜中に朦朧とする。極限状態の僕はやっぱり助けてほしい。溺れるものはなんだって掴む。きっと雪のためにしてやれることもあるはずだと酸素の足りない頭で錯覚を見る。わかっている。最善は僕がとっととこの病気を治すこと。どうやったら治る? いつかじゃだめなんだ。早く治さないと。
「お前、昔は泣いてばっかだったのに、高学年ぐらい超えてから全然だよな」
「なんで急に子供の頃の恥ずかしい思い出掘り起こしてくんの」
「小学生のときも一人で静かに泣いてたし、今は泣かねえし、病気けっこう重いのに本人がいい子で全然手がかからないって評判だよ」
やっぱり雪も普段の僕の様子を聞いたりするんだなぁ。
「さっきのお前の話、俺だって大変さを振りかざして周りに気ぃ遣わせてるし……お互い様だよ」
無口な友人はありもしないことを大げさに語って僕をなぐさめる。
「そんなことないのにさー」
「楽に生きろ。いっつもお前が言うことだろ」
そっちこそ何度言っても聞かない友人は一歩前を歩く。背が高くなったなぁと追いかける。あくまでもドライに、僕だって自分のことが嫌になるときもある。
……
「みたいなことあったよね」
「あったんだ。初耳ですが」
五年経ったし時効かなと思って話してみた。相手は完全に忘れている様子で首を傾げている。喫茶店で雪が頼むのは相変わらずブラックのコーヒーで、僕は相変わらず甘いものが好き。でも雪は昔と違って人生の上での楽しみを見つけた。僕も今では元気に過ごしている。一人暮らしを謳歌して、たまに家族と会い、友人と学業に励んで気まぐれに遠出して遊ぶ。理想的な学生生活。
ああ、僕はこれがやりたかったんだな。大げさではない楽しさ。たまに大変なアクシデントもあるけど、それを帳消しにできるような日々。
「中学生の俺たち、暗かったよな」
「雪だけでは?」
「じゃあ俺」
「でも僕もだいぶ悲観的だった」
「そうね」
人生は明るい方へ歩け。北斗星の『朝日』はそう歌っている。普遍的で、どこででも聞けそうなセリフだけど、彼らの重なった声が歌うと推進力が増す。もしいつか暗い場所に落ちたら、そのときは横穴でも掘って斜めに上がっていけば良い。立ち止まらずに。今の僕らにはきっとそれができる。