051.森
高校一年
この世の中で紙からのにおいを認識している子供がどれほどいるだろう。その子は図書館に入り浸るのが好きで、本を買ってもらうのが好きで、その娯楽が消去法でなければいいんだけど。
「こんなにたくさんの本、どうやって読んでるんだよ」
久人が所蔵する本はかなり多く、今では廊下にまで本棚を足してなんとか収めている状態だ。何を探しているのか知らないが、部屋のあちこちにある塔を崩さないように近寄っていく。
「まず前提として、小説は全部読んでるよ」
それはなんとなくわかる。前に読んでいた本をあとになって読み返しているのも見たことがある。こいつは本屋でカバーを掛けてもらわないので、目立つ表紙は印象に残るのだ。変わったタイトルは覚えているだろうかと思い返してみたけど、文字情報は俺にとって価値が低めに設定されているようだった。
「こういう専門書はねぇ、最初は全部わかろうとして読んでいるわけじゃないんだ」
「……どういうこと?」
「わからないところは、あとからわかるようになるんだよ。わかんないなって思いながら生活してると、どこかで部品を見つけるの。補助パーツみたいな。それで戻って読んでみたら、理解できるようになってるんだ。だからフラグを立てて置くことが大事なんだよね」
よくわからない。親しみのないものなんてそんなもんだ。
「音楽ってさー、どんだけ聴いたか可視化されにくいよね」
本ももう今は電子データだと言おうとして、それでも読んだ分はわかると気づいた。一人の時間を音楽に浸かって過ごす。そんな生活ではもはや音がない時間とある時間の境目があやふやだ。それは、俺が渡るもう一つの世界とこちらの現実の関係のようでもある。きっとこっちが現実と信じて生きた方が波立たない。音に浸かってもきっと正解。
「一日ずっと同じ曲を聴いたときなんか、何時間何分その音を浴び続けたかわからない」
「一日で済むの?」
「全然」
優れてこちらを刺してくる曲は何日にもわたって繰り返し聴くことがある。中毒、依存。対象が有意な害を持たないものだと、誰もこれを摂取し続けることを止めない。でもノーミュージックノーライフではない。聴力は消耗品。音楽がなくなっても人生は続くし、自分の世界から音が消えたときの絶望が死に足るかは不明だ。
本は何度も読んだところで反復数は知れている。
「本もね、売っちゃったり借りたものを返したりするとわからなくはなるかもね」
「お前は」
「パソコンもらってからはログとってるよ。ていうかまあ、覚えてる」
「五年前の誕生日にもらった本は?」
「五年前のプレゼントは本じゃなくパズルです」
テストしようと思ったけど適当すぎて負けた。俺がこいつに本をあげたのは過去に一回だけで、別に誕生日とかじゃなかった。修学旅行に行った京都の古本屋で買った本だ。店主に、本好きにあげたい本を聞いて買った。たまに久人の本棚や、床に詰んだ塔で見かける。
「分け入っても分け入っても文字の群れ」
「はあ」
「ていうか最近本屋行ってない」
「この部屋の本全部読んだ?」
「違うんだってば。この辺のは今植林してるの」
久人が自分一人で本屋に行けるようになってから、この部屋に積もり積もった文字の数は加速度的に増えている。楽しいんだろうと思った。栞はいつも枯渇していて、机の上のブロックメモをちぎって畳み、厚みを稼いで挟んでいる。覚えていても、そこまでめくる時間が少し面倒らしい。
「本屋行きたいなー」
「えー……」
まだ買うらしい。まだ読んでもないのに。買って聴かないアルバムはないよ。
「どっち?」
これは中古の本屋か、ちょっと先に行ったでかい普通の本屋か。
「新しい本が欲しいな」
本屋での久人はちょっとおもしろい。暇な学生なので、だいたい全部の棚を見て回る。きょろきょろ両側を見て、すいすい進んだかと思うと急に何かに引っ張られたように止まる。一歩戻ってその先の本を手に取る。ばららっと読んで、欲しくなければその場に戻し、何か気になるものがあると、カゴに入れる。
いつも重そうなので、帰りは俺が半分持っている。中学のときは連結車両のように何も考えずついていってたけど、最近俺は音楽関係の書籍などを見ることも増えたから、別行動が発生している。
「今から行こうかな〜」
「片付けは?」
「完全に片付いたあとに買うと大変かも」
一生片付いてないから大丈夫。鞄に荷物を入れ始める久人を見て、俺も動き始める。
「帰ってきてご飯食べなよ」
「今月の霜坂家利用回数を使い切った」
「そんなものはない」
唐揚げはズルだなぁ。おばさんが揚げたて作るの、本当に美味しいんだ。今度また力仕事手伝おう。