013.深夜歩行
大学生
自作の音源を打ち込んでいると、深夜になっていた。ソロパートでいくつものフレーズをボツにして進捗は芳しくない。部室には部長がいて、おそらく学祭用の企画書を書いている。他の部員は帰宅していた。明日は二限も三限も休講というやる気のない日。晩飯を食い損ね、放課後に観月さんからもらった煎餅だけで誤魔化していたから腹がへったと思いつつ、きりの良いところを探しあぐねていた。
「ファミレス行くぞ」
イヤホンを外して部長は宣言した。これは確定事項で、俺に意見する権利はない。別に腹が膨れればどこでもいい。駅まで歩き、雑居ビル地下のサイゼリヤに向かう。深夜だがそれなりに客はいた。
「俺はハンバーグセットにする」
「夜中ですよ」
「気にしてられるか。活動にはエネルギーが必要だ」
俺も腹をくくった。実際、腹はへっているのだった。グリルチキンの番号を紙に書く。二人ともご飯は大盛を頼んだ。どうせ後でコンビニに寄り、飲み物を確保するのでドリンクバーは控えることにした。
部長は何も言わず席を立った。トイレに行くのかと見送ったら給水機の方向に歩いて行ったのでしまったと思う。俺が今から水を取りに行くにはもう遅かったので、浮いた手をごまかすようにもう一度メニューの束を手に取った。子供用メニューに間違い探しがある。久人とこの店に来ると、注文の間はこれにチャレンジするのが習慣だった。けれど一週間前にも来たところなので、俺はもうこの間違い探しの答えを知っている。
部長が戻ってきて、氷の入った冷水のグラスを滑らせた。
「ありがとうございます」
「おう」
「……部長、これどうです?」
「なに? 間違い探し?」
部長は二枚の絵を一秒ずつ三往復見て言った。
「えーと行くぞ、いち、にー、さん、し……ごー、ろく、なな、はーち、きゅう……じゅう、とーこれで終わりか?」
瞬殺という言葉がふさわしい。俺は絶句した。久人でもここまで速くない。
「何もんだよ……」
「あー、こういうの普通はもっとかかるのか? 次から黙っておこう」
先輩はこれで真剣に言っているのでむしろ殊勝な態度だ。
「すごいですね……」
「もしかして今から解くところだったか?」
「いや。火曜に久人とやりました」
「なるほどな」
「俺は三個で久人が七です」
「なるほどなぁ」
注文の品はすぐに来た。手を合わせてがつがつと食べる。久人がいるとあいつはよく喋るものだけれど、滝畑さんは一度話し出すと長いわりに用件がないとあまり喋らない。俺も沈黙は苦にならない性格だから、相性の良い先輩で助かった。深夜に摂取する熱量は実際のものより価値が高く感じられる。しっかりと味のついた肉を米とセットでかきこみながら、本日の進捗に思いを馳せる。
「進みはどうだ」
この人はエスパーか何かか。
「……あまり」
重要なシーンのソロパートなのに、何通りも録っているのに、これといった光が見えない。
「前俺が言ったこと、覚えているか」
「……ええと」
「『他人の意見も聴く』『一旦距離を置く』」
勢いのままに作り上げたい時というのが存在する。存在するどころではない。継続的に曲を作るようになって認識し始めたが、俺は作りたいものを、自分の聴きたいものを作り上げるまで、進み続ける傾向にあるらしい。曲の欠片を作っても、俺が手を動かさなければ完成品は永遠にもたらされない。といっても、作品に対して一旦冷静に立ち返らないのはある種俺の悪癖だ。
「俺じゃなくてもいいよ。河東でもいいし同期でもいい。フィードバックはかならずしも取り入れる必要はない」
「それが難しいんですよ」
「お前が船長だからな。一回作ったものには責任が伴う」
俺も部長も食べるのが速い。テーブルの上での会話はそれで終わった。
「お前の作る曲って、夜の曲が多いよな」
帰り道、部長は突然そう言った。指摘されるまで気づかなかったので、今まで自分の作った曲を思い返してからようやく納得したような気になる。
「俺の好きなバンドも、けっこう夜っぽい曲を作るから、影響されているのかもしれません」
「aqua ball?」
「に、限らず」
俺の好きな曲は夜の曲が多い。夜みたいな世界にいることが多いからだろうか。
「でもやっぱ作ってる曲の雰囲気はabに似てるよ」
爆弾発言が来た。
「本当ですか」
「特にシンセ系? 鍵盤ソロの音選びが似ているように思う」
「本当ですか」
「お前本当ですかしか言ってないぞ」
「……」
部長の言葉に首をかしげながらコンビニに入って炭酸水を二本手に取る。先輩は紙パックのミルクティーとくるみパン、サンドイッチを取ってレジに行き、顎をしゃくって俺にも商品を出すように促した。奢ってくれるのだ。
「すみません、ありがとうございます」
「すみませんはいらん、ありがとうはどうも。これはお前の」
炭酸水だけでなくサンドイッチも渡される。朝飯はしっかり食えというのが部長の持論だ。重ねてお礼を言う。
「そういや俺今日泊まるけど、良いのか?」
先輩も俺も、自転車をとばせば家まで帰れないこともない。が、今日は一限のために朝早く家を出て、そのときは雨が降っていたので電車を使っていた。
「むしろ俺もですけど、いいんですか?」
「俺いびきかくんだよ……」
「いつもイヤホンつけて寝るんで大丈夫ですよ」
「それちゃんと寝れてんのか?」
「先輩こそ」
大学までの道はおおむね暗いが、街灯と先輩の足音がしっかりと存在して質量を持っていた。多分寝るまであっち側には行かないだろう。
夜の向こう、思い浮かぶメロディに指が動く。良いフレーズをつかめそうで、そのまま右手を握りしめた。