006.ホーム
大学一年年末
帰ってこないか、と父からメッセージがあったのは、十二月十日のことだった。年末は休みなのかと尋ねると、休みだと返ってきた。これは非常に珍しいことだ。最近気づいたのだが、父は俺といて気まずいとかそんな理由でなく、単純に仕事が好きらしい。
俺は少し迷ったが、その場にいた部長に声をかける。
「部長」
「なに?」
「冬休みってなんかありますか?」
「いや、年末年始はなにもない。皆実家に帰れ。親の飯を食え。年賀をかっぱらってこい」
「……了解です」
先輩はどうするんだろうと思いながら、じゃあ帰るよ、と返信する。すぐに、金を後で渡すから、まずは学割証明書を取って新幹線の切符を取れと指示があった。
「先輩、学割って、どこで取れるんですか?」
「お前もしかして夏帰ってないの?」
そこからか。
「まあ、バイトとか余所のバンド乗ったりとかで忙しかったんで」
「大学入って初めての長期休みに実家帰らないなんてことあるかね。まあいいや。学生証持ってるか? 行くぞ」
フットワークの軽い先輩について、学生課の横にある機械に辿り着いた。学生証を入れて画面を操作すると薄っぺらい紙が印刷される。
「乗る駅と降りる駅と日付書く。駅の窓口に出す。オーケー?」
「ありがとうございます」
寒風吹きすさぶ中、部室へ戻る。暖房の風が身を包む。
「……あ」
「なに」
「土産いります?」
「どこ?」
「仙台です。……何が美味いか知らないけど」
「は?」
「いや、俺、東京出身なんですけど、大学進学と同時に親父が転勤してて」
「ああ、なるほどね。……宮城ならずんだもち?」
「俺、食ったことないです」
「俺もないよ。うまいのか?」
「さあ……。試食して美味かったら買ってきます」
でも甘かったらどうしよう。
「牛タンが良い」
「絶対現地で焼き立て食った方が美味いですよ」
「そうかあ?」
「最近だと冷凍のやつとかあるでしょ」
河東さんが話に割って入ってくる。
「河東さんも肉食いたいですか?」
「他人の金で食べる肉ほどうまいものはない。相手が後輩だろうとなんだろうとうまいものはうまいよ」
きっぱり言い切った河東さんは一度ほどいた髪を結び直す。
「……買えそうなら買ってきます」
無理ならずんだで。
■■■
新幹線に乗るのは久しぶりだ。早朝、東京駅の人が少ない東北新幹線のホーム。俺はきょろきょろ辺りを見回しながらトランクを引き摺る。そう、トランクも持っていなかったから昨日慌てて買った。年末の東急ハンズは混雑していた。何か忘れてそうで少し不安だけど、最悪財布とスマホとウォークマン、ヘッドフォンさえあればなんとかなるだろう。
ダウンジャケットを脱いで窓際の指定席に座るとスマホが震えた。
『おはよ、起きた?』
久人からのメッセージ。あいつももう実家に帰っているはずだ。肯定の返事をして、スマホをポケットにしまう。やがてアナウンスののち、すうっと車体が動き始めた。音楽の向こうで哀愁のあるチャイムが聞こえる。
乗車前に買っておいたボトルのコーヒーを一口飲む。ヘッドフォンは優秀で、走行音をほぼカットしていた。宇宙コンビニのアルバムを流し聞きしながら、この一年を思い返す。とにかく、今までとは段違いなぐらいに交流が増えた。学科でも、バイト先でも、サークルでも、今までよりきちんと話すようになった気がする。こうして考えてみると、高校までの俺は限りなく閉じていた。自分のことで精いっぱいだったのだ……。
仙台駅についたのは九時だった。年末ぎりぎりのラッシュを避けて早めに帰ってきているのでもちろん親父は仕事中。周辺を散策するにしてもトランクが邪魔で、駅のロッカーに預ける。
さて。
暇だ。
サークル同期の結城に勧められた同人アルバムを聴きながら、俺はベンチに座る。銃機シリーズのアレンジCDだ。結城曰く、このサークルは別のロボアクションゲームから強く影響を受けていて、アレンジにはそのゲームのBGMの構成が持ち込まれている。ハイのきついドラムを聴きながら、まばらでもなく過密でもない人の流れをぼんやりと眺める。ここに来る前に一度、ライブカメラ映像でこの景色を高層から俯瞰してみたことがある。父の転勤が決まって、どんな土地なんだろうと検索をかけたときのことだ。けれど、もはやそのときのことはおぼろにしか思い出せない。
『なんか仙台でここ行っとけみたいなとこある?』
期待はせずにメッセージを送ると、さほど待たずに返信がある。
『行くとこないならさ、この辺とか回ってみたらどう?』
グーグルマップに紐づけされたルートが久人様から考案されている。
『1031』
と送りつけ、地図を頭に叩き込んでそのままメッセージアプリを閉じた。立ち上がる。リュックを背負い、まずは北に向かって歩き出す。
■■■
父が帰ってくる時間には仙台駅に戻っていた。近所の寺社と滝、城という王道のコースを辿ったが、特に滝が良かった。激しい水音は脳髄を洗い上げ、飛沫のおかげで冷えた空気を吸うと心地がよかった。
仙台駅のターミナルで待っていろと言われたのでそうしていると、明らかに俺を狙って黒い軽自動車が停止した。運転手は見知らぬ初老の男性で、混乱していると後部座席から声がかかる。
「雪、こっちだ」
トランクを後ろに乗せて車に乗り込む。
「こんにちは」
「ああ、ご丁寧にどうも。初鹿所長の運転手をやらせてもらってます、木田と申します。私のことは気にせず、どうぞごゆっくりお父上とお話しされてください」
と言われても、もともと口数の多い親子ではない。
「いつのまにそんなに偉くなったの」
「まあ地方は車社会だから。親切なんだな」
車窓を行く景色はまったく見覚えがない。車はさほどたたずに線路沿いのマンションに停まった。
運転手さんに頭を下げて、父の新居を見上げる。新築と言われてもおかしくないほど綺麗だ。エントランスにはささやかに植栽が施されており、ロビーもオフホワイトの壁床が広がる。
父の家は八階だった。このマンションは十四階らしく、中の上程度の高さにあたる。二部屋あるうちの片方が父の部屋、もう一つはひどく殺風景な客間だ。俺に言われたらおしまいだと思うが、今の俺の部屋は昔に比べて物が増えている。ダイニングキッチンも相変わらず使われた形跡がなく、親父の自炊能力の無さを思い出す。
「なんでここに決めたの」
「新幹線がよく見える」
まさかそれだけの理由で新居を決めたのだろうか。
「正直特に決め手はなかった。私の先輩がこのあたりはアクセスが良くて便利だと言っていたんだ。さっきは仕事上がりだから車を使ったが、駅までなら徒歩でむかえる」
コートを脱いで一息つこうかと思ったが、
「飯どうすんの」
「まだ早いだろ」
ということは外食する気満々だな。
「俺が運転しようか」
「……もうそんなことができるのか」
父の驚いたような顔を見るのは珍しい。そもそも彼は俺と同じく無表情なタイプだ。というか、教習所代は全額親父が出したのになんで忘れているんだ。
「向こうにいて車を運転することなんてあるのか」
「あんた車くれたじゃんか。それに機材乗せたレンタカー動かすこともけっこうある。バイト先の搬入手伝いとかも」
休日のドライブでも評判は悪くない。今まで無事故で通している。ちなみに滝畑さんは一回レンタカーをぶつけたことがあるらしい。河東さんから聞いた。
「なんのバイトをやっているんだ?」
「本屋で週三。同期の妹さんの家庭教師を週一。休みの日にイベントスタッフ入ったりもする」
「勤労学生だな」
「父さんが学生の頃は?」
「週六で塾講師のバイトをしていた」
通りで社畜になるわけだ。呆れた顔をしていると、父はキッチンに移動し、唯一使い込まれた様子のケトルとポット、ドリッパーをラックから引き出した。そういえば、久人がうちに遊びに来ることはあっても、かならず飲み物を買ってきていたことを思い出した。うちには砂糖もミルクもないのだ。
マグカップが人数分無かったようで、俺の分のコーヒーは貰いものらしき湯呑に入れられた。ダイニングテーブルにはかろうじて椅子が二つあるので、座ってコーヒーを飲む。
「……美味いね」
「良い豆を売ってくれる店が近くにある」
「わざわざ買いに行くの?」
「休みの日に買い貯めておくことが多い。気に入ったなら分けてやろうか」
断ろうとしたが、たまには良いか。頷いておく。土産が増えた。俺の部屋には誰かさんが置いて行ったミルクと砂糖があるから、もしあいつが来たら、この話と一緒に出してやってもいい。
晩飯は鉄板焼きだった。わざわざ予約していたらしく、静かな個室で俺はもくもくと高そうな肉を食べた。あまり舌が肥えている方ではないと自覚しているが、やはり高い肉は美味しく感じる。河東さんが言っていた牛タンも出てきたので、米をおかわりしてさらにかきこんだ。父は酒とともにゆっくり食べているが、俺は構わずに日本茶を楽しんだ。帰りは代行を頼んでもいいと言われたが、まあ、一旦請け負ったからには最後までやり遂げたいというのが俺の考えだ。
食材が焼ける音をバックに、ぽつぽつと話をした。大学で勉強していること。今担当している仕事のこと。友人の話。休日の過ごし方。今までの俺たちに、こうした会話はなかった。必要なことを話すだけで、互いにその日の言葉を使い果たしていた。俺もそうだし、父もそうだ。きっと離れて暮らして、余裕が生まれたんだろう。
「明日はどこかに行くか?」
「滝は行ったよ。あと寺も。だからそれ以外が良いな」
「水族館のチケットを秘書から貰った」
「いいじゃん」
大学生にもなって親と水族館に行くなんてな。でも今までの俺たちに、そんな時間はなかったんだ。
きっと写真を久人に送れば、喜んでくれる。