「大変だけど、毎日ちょっとづつ頑張ろう…」こういう精神を学ぶのに、研究はとてもよい。
この点だけでも研究というメソッドを素人が学ぶのには十分すぎるほどに価値があるものなのだけど、個人的に研究で最も有用だと感じる機能は知の排泄としての機能である。最近実に思うのだが、人間の持つ能力の中で最も過小評価されているのが排泄行為なのではないかと思う。みんな美味しいものをバクバクと食べるのは大好きだが、そもそも美味しいものをお腹いっぱい食べられるのは排泄器官がキチンと働いてウンチとオシッコとして外に出してくれるからである。「なにを当たり前の事を言っているのだ?」と思う人も多いかもしれないが、その視点を持った上で改めて考えてみてほしい。あなたは知識をちゃんと排泄できているだろうか? /icons/hr.icon
身につけた知識や技術は、何らかの形でウンチやオシッコとして排泄しないと毒になる。
どのようにして排出するかは様々な業界にその業界にあった方法が転がっているはずだから、狂いから上手に距離を取っている人に真摯に教えを請うべきである。 自分は論文を執筆しはじめて、確かに知識がキチンと排泄されるようになったなと思うようになった。書くのも査読を通じてボコボコにされるのも物凄いストレスではあるが、狂わない為には確かに必要な行為なのだと最近は見直すようになった。マジで苦そのものなのだが、まあウンチやオシッコはそういうものである。なにはともあれ、飽食・情報過多な社会だからこそ私達はスリムであり続ける為にも排泄上手にならねばならない。上手に消化し、ウンチやオシッコとして排泄する作業無しには狂いからは無縁にはなれない。
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toshi.iconアウトプットの重要性