知識の哲学——抽象の認識論
トマス・アクィナスの感覚知覚論
外部感覚 ――『神学大全』第 1 部, 第 78 問, 第 3 項
感覚知覚の能力
感覚は,身体器官を通じて,感覚されうる対象がもつ形相を,〈感覚するものの在り方に従って〉受け取る
感覚器官に変化を与えうるものの多様性に即して,感覚の能力は 5 つに区別される
なお,この多様性を考察する視点として,次の 2 つの変化が導入される
「自然的変化」(immutaito naturalis)―― 火が木に燃え移ると,実際に熱くなる
「精神的変化」(immutatio spiritualis)―― 色が目に受け取られても,実際に目が着色されるわけではない
外部感覚(五感)
table:
感覚 固有対象 変化 感覚器官 変化
視覚(visus) 色 精神的 眼 精神的
聴覚(auditus) 音 自然的(場所的) 耳 精神的
嗅覚(olfactus) 匂い 自然的(質的) 鼻 精神的
味覚(gustus) 味 自然的 舌 自然的(湿り気)
触覚(tactus) 熱/冷/湿/乾 自然的 身体器官全体 自然的
内部感覚 ――『神学大全』第 1 部, 第 78 問, 第 4 項
共通感覚(sensus communis) ――「脳全体」
固有感覚によって認識されるものをすべて認識する
自らが感覚していることを感覚する
同じものが複数の感覚されうる性質をもつことを判断する(ex. 砂糖は甘くて白い)
表象力や記憶力の根(radix)であり,前提である
表象力(phantasia)/想像力(imaginatio) ――「脳の前方」
感覚されうるものが現前しない時にも,働くことができる
つまり,外部感覚から受け取られたものを保持することができる
黄金の形象と山の形象から,見たこともない「黄金の山」を想像できる
⇒ 想像力は,虚偽の源泉/罪への入口になりうる
表象力は,外部感覚から受け取られたものを知性に提示する
つまり,表象力は,知性認識を準備するものである
評定力(vis aestimativa)/思考力(vis cogitativa) ――「脳の中央部」
「便宜/有用性」(commoditas / utilitas)や「害悪」(nocumentum)という〈志向性〉(intentio)が伴う
羊が狼を見て逃げるのは,狼が自らの敵であると本性的に判断するからである
鳥が藁を集めるのは,藁が巣を作るのに役立つからである
人間の場合には,個別的な理性(ratio particularis)とも呼ばれる
記憶力(vis memorativa) ――「脳の後方」
評定力/思考力に伴う特殊な〈志向性〉(intentio)を保存する能力である
トマス・アクィナスの知性認識論
感覚知覚と知性認識との相違点
感覚知覚
身体器官を用いた受動的な能力である
質料的な性格によって,個物を認識対象とし,認識対象が制限される
知性認識
身体器官を用いず,能動的な能力でも受動的な能力でもある
非質料的な性格によって,普遍を認識対象とし,あらゆるものを認識対象とする
⇌ つまり,知性とは,「何も書かれていない書板」(tabula rasa)である
知性認識の基本的な枠組み
可能知性(intellectus possibilis)
可能態にある知性であり,無限に多くの形相を受け取って,何度も書きこまれることができる
⇒「魂は,ある意味で,あらゆるものである」(anima est quodammodo omnia)
知性の対象は,事物の「本性/何性」(natura / quidditas)であり,「個物の内にある普遍」である
⇒ だから,知性の認識の全体は,この世界の内にある諸事物を〈感覚することに由来〉する
したがって,知性的魂それ自体は,感覚されうる諸事物の本性である,われわれによって認識されうる諸事物の限定された類似に対して可能状態のうちに留まる。そして,感覚されうる諸事物のこうした限定された本性を,表象内容はわれわれに提示する。しかしながら,その表象内容は,まだ,知性認識されうる存在には到達していない。というのも,表象内容は,個別的な特性である質料的な諸条件に即しても感覚されうる諸事物の類似であり,そして,素材的な器官のうちにも存在しているからである。したがって,表象内容は,実現状態において知性認識されうるものではないのである。
トマス・アクィナス『対異教徒大全』第 2 巻, 第 77 章
能動知性(intellectus agens)
感覚を通して得られた情報〔=表象内容〕は,能動知性を通じて,実現状態において知性認識されうるもの〔=可知的形象〕にされる
⇌ つまり,能動知性は,素材的な諸条件から形象を〈抽象する〉ことによって,事物の本性を実現状態において知性認識されうるものにする
したがって,素材的な諸条件からの形象の抽象を通じて,実現状態において知性認識されうるものにする,知性の側からの何らかの力を措定しなければならない。そして,こうしたことが,能動知性を措定する必然性なのである。
トマス・アクィナス『神学大全』第 1 部, 第 79 問, 第 3 項, 主文
能動知性による抽象(abstractio)
どんな素材的な事物であれ,その事物の種の本質規定,例えば,石や人間や馬の種の本質規定に属する事柄は,種の本質規定には関わらない個体化の原理なしに考察されることができる。そしてこうしたことは,個別的なものから普遍的なものを,ないしは,表象内容から可知的形象を抽象することであり,すなわち,表象内容を通じて表象されている個体化の原理の考察なしに,種の自然本性を考えることなのである。
トマス・アクィナス『神学大全』第 1 部, 第 85 問, 第 1 項, 第 1 異論解答
能動知性による第一原理の認識
実際,能動知性の自然本性的な光そのものから,第一原理は認識されたものとなるのであって,第一原理は,推論を通じて獲得されるのではなく,むしろ,第一原理の項辞が知られるということを通じてしか獲得されない。確かに,こうしたことが生じるのは,諸感覚から記憶が獲得され,そして,記憶から経験の認識が獲得され,そして経験から第一原理の項辞の認識が獲得されて,それらの項辞が認識されると,技術知と学問知の原理であるこうした共通的な命題が認識されるということを通じてである。それゆえ,最も確実な原理,ないしは,最も確固とした原理が,その原理に関して誤ることがありえないもの,つまり,前提されていないものであり,自然本性的に到来するものでなければならないということは,明らかである。
トマス・アクィナス『形而上学註解』第 4 巻, 第 6 講義, 599
第一原理の獲得方法
それに即して魂があらゆる事柄について判断するところの真理は,第一の真理である。なぜならば,神の知性がもつ真理から天使の知性へと諸事物の生得的な諸形象が流入し,その諸形象に即して天使の知性があらゆる事柄を認識するのと同じように,神の知性がもつ真理から,範型的な仕方で,われわれの知性へと第一原理の真理が発出し,その真理に即してわれわれはあらゆる事柄について判断するからである。そして,その真理が第一の真理の類似である限りにおいてしか,その真理を通じてわれわれは判断することはできないのだから,それゆえ,第一の真理に即してわれわれはあらゆる事柄について判断すると言われるのである。
トマス・アクィナス『定期討論集:真理について』第 1 問, 第 4 項, 第 5 異論解答
知性のはたらき
概念把捉/知性の第一のはたらき
不可分なものについての知性認識であり,事物の何性/本質をそれ自体として認識する
概念の単純把捉(simplex apprehensio)においては,虚偽はない
ただし,知性の第一のはたらきである概念把捉によっては,事物の「本質」を一挙に全体として把捉することはできないため,知性の第二のはたらきによる分析を必要とする
命題形成/知性の第二のはたらき
単純な概念を,複合したり分割したりする(componere et dividere)
「真理」は,本来的には,複合ないし分割された「命題」(propositio)において見いだされる
「真理とは,事物と知性との合致である」(veritas est adaequatio rei et intellectus)
立ち返り(reflexio)・立ち戻り(reditio)/知性の第二のはたらき
1. 「自己認識」――『定期討論集:真理について』第 10 問, 第 9 項
知性の活動は,第一には,表象内容を通じて把捉される事柄へと向かう
その次に,自らの活動を認識することへと立ち戻り,心の所有状態・能力・本質へと立ち戻る
2. 「知性認識された概念/内的な言葉」――『対異教徒大全』第 4 巻, 第 11 章
知性が知性認識された事物について概念化するものを,「知性認識された概念」(intentio intellecta)と呼ぶ
外的な音声の言葉が意味表示する事物について,知性の中で概念化された何らかの類似である
「内的な言葉」(verbum interius)とも命名され,外的な言葉によって意味表示されるものである
「事物を知性認識すること」と「知性認識された概念を知性認識すること」とは異なる
∵ なぜならば,「知性認識された概念を知性認識する」のは,知性が自らの行いについて立ち返る場合だからである
3. 「知性による個物の認識」――『神学大全』第 1 部, 第 86 問, 第 1 項
知性が〈直接的に〉認識するのは,「普遍」である
知性は,〈間接的に/一種の立ち返りによって〉「個物」を認識することができる