古代ロシアおよびロシア思想の根底としての宗教
table: history
880頃? ヴァリャーグ人がキーウ(キエフ)・ルーシを建国
988〜 キリスト教(正教)を国教とする
1223〜 タタール襲来 / 「タタールのくびき」(~1480)/ モスクワ・ルーシの台頭
1598~1613 動乱時代(大動乱)
1613 ロマノフ朝の創設
ヴァリャーグ人招致
ヴァリャーグ人(варя́г)*複数形は「ヴァリャーギ」
北方のゲルマン民族(ヴァイキング)
『原初年代記』(1113)に記述あり
ノヴゴロドにリューリク朝(キーウ・ルーシ)を建てた
「ヴァリャーギ招致」伝説(862)
リューリク朝の起源についての伝説
統治能力に欠けたスラヴ民族がみずからヴァリャーグ人たちを呼び寄せて統治してくれるよう頼んだとする
伝説の真偽については結論が出ていない
ロシア史のはじまりとされるのは、われわれにとって驚くべき出来事であり、年代記の中でも他に類をみないような出来事である。スラヴ人たちは自分たちの古き統治をみずからすすんで滅ぼし、自分たちの敵であったヴァリャーグ人たちに王になってほしいと頼むのだ。いたるところで強者の剣と野心家たちの狡知が専制権力をもたらした(それは人々が法を欲しながらも囚われの身になることをおそれたからである)。ロシアでは、そうした専制権力が人々の総意にもとづいて打ち立てられたのだ。」(カラムジン『ロシア国史』より)
スラヴ人が異民族を自分たちの支配者として立てて、権力をすすんで譲り渡した
暴力による支配ではなく、民衆の総意により委任された権力
19c中頃のスラヴ派(コンスタンチン・アクサーコフ)の言説
民の意志にもとづくツァーリの権力(西欧型の権力との違い)
西欧は力に基づく権力奪取だが、ロシアは民衆の総意に基づく権力奪取
19c後半に体系化されたツァーリズム・専制についての言説に引き継がれる
19cの専制論:ヴァリャーギ招致を例として引きつつ、「わが国の専制、それは一人の人物において体現された国民全体の理性と意思である」と述べている(チェルニャーエフ『ロシアの専制について』より)
→ヴァリャーギ招致伝説は、後世のロシアのツァーリ論に共通する、 ロシア的な権力形態・権力理解のプロトタイプを示した
キーウ・ルーシの時代
リューリクは当初ノヴゴロドを中心としてルーシを支配
882 リューリクの子イーゴリと一族のオレーグが南下してキーウを建設
イーゴリとその子スヴャトスラフの2代にわたり、ビザンツ帝国とも戦い、条約を締結している
キーウ・ルーシは南北に伸長し、南にあるビザンツ帝国に接近
「ヴァリャーギからグレキ(ギリシア人)への道」と比喩される
988 キーウ大公ウラジーミルがキリスト教(正教)を国教化
『原書年代記』によると、986にイスラム教・ユダヤ教・キリスト教(西方・東方)の使節が来訪、その中からウラジーミルは東方正教を選んだ
他の宗教の戒律が厳しく嫌がったため
ビザンツ帝国で行われていた東方正教の儀式が荘厳で美しく、ウラジーミルが気に入ったため
1071 ウラジーミルの息子であるボリスとグレープの兄弟がルーシの正教会で(初めて)列聖される
キリスト教の需要がロシアにもたらした影響
キリスト教の需要はキリスト教文化の需要であり、ロシア文化の二重化をもたらした
フロロフスキー:「昼の文化」(キリスト教)と「夜の文化」(キリスト教受容以前の異教)
キリスト教の受容=ビザンツ(+古典古代)の文化・伝統の流入
新プラトン主義などの思想
1. キュリロスとメソディオス(キリルとメフォーヂイ)により、グラゴール(キリル)文字が作られた
2. フェオドシイ/神の意に沿う統治者(大公など)
3. イラリオン『律法と恩寵に関する説話』/ユダヤ教からキリスト教へ
ユダヤ教よりもキリスト教の方が救いの手が差し伸べらる人が多いため優であるとした
4. 翻訳文献(ギリシア教父、プラトン、アリストテレスなど)
正教とは何か
英:Orthodox、露:православие
「正しい信仰」を意味する、カトリックに対するキリスト教東方教会の自称
ギリシア正教(東ローマ帝国、ビザンツ帝国)を起源とする
ロシアやルーマニア、セルビア、ブルガリアなど東欧諸国で、国家的・民族的教会として成立した
ローマ帝国の盛衰
table: Rome Empire
313 ローマ帝国がキリスト教を公認(ミラノ勅令)
395 ローマ帝国の分裂(分割統治)
476 ゲルマン人の侵入により西ローマ帝国滅亡
1054 東西教会の分裂(大シスマ)
1202〜1204 第4回十字軍がコンスタンチノープル征服
1453 オスマン帝国により東ローマ帝国滅亡
1054の大シスマで互いに破門状を送りつけ合い、東西教会は分裂した
それ以前の公会議の決定を認めている点では同じ
フィリオクエ:“filioque”「~と子(から)」
聖霊をどのように扱うかという問題=東西教会の分裂(1054)の火種の一つ
カイア・コンスタンティノポリス信条(ニケア・コンスタンチノープル信条)
「また信ず、聖神・主、生命を施す者、父より出で、父および子と共に拝まれ、ほめられ、預言者をもってかつていいしを」(『正教要理』より)
聖霊は
東方教会: 聖霊は「父から」発出する→子と精霊が同格
西方教会 : 聖霊は「父と子から」発出する→子と精霊に上下関係
https://scrapbox.io/files/68e8f2301fec1f63548053c5.png
「フィリオクエ」問題をどうとらえるか
西側の境界が三位一体における統一性を過度に強調(オリヴィエ・クレマン『東方正教会』)
教会のはたらきと聖霊のはたらきからフィリオクエの問題を考えると、聖霊を子なる神の下に置くこと = 「フィリオクエ」を加えることで、教会および教皇(子なる神=キリストの代理者)の権威の底上げを図った?
「フィリオクエ」を加えなかった東方教会、そしてロシアは、人の体を「聖霊が宿る神殿」として聖霊を人と神を結びつけるものと位置付けることで、(特に厳しい環境であるロシアで)有事の際にも、必ずしも教会によらないロシア宗教思想の基礎となった?
イコン
露:икона、英:icon
ギリシア語で「像・姿」を意味する
ロシアでは板にテンペラの技法で描かれたものが多い
他に、フレスコ、モザイクなどの技法がある
歴史
2c頃には、ローマなどの地下墓地(カタコンベ)の壁画というかたちで宗教絵画があらわれた
8c(730頃)〜9c(843) イコノクラスム(聖画像破壊運動)の影響でイコンが禁止・破壊された
1453にビザンツ帝国が滅んだのち、イコン画家たちはヴェネツィア領のクレタ島などで制作を続けた
ロシアでもイコン制作は続けられ、独自の道を歩んだ(e.g. ルブリョフなど)
近代には西欧絵画の影響を受けた
イコノクラスム(聖像破壊運動)
イコンと偶像崇拝
旧約聖書の出エジプト記:「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。」(20:4-5)
→ イコンは礼拝の対象となるため偶像崇拝にあたるのでは?
8c(730頃)〜9c(843)にかけて隆盛
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝レオン3世は730にイコン崇拝を禁止
7cにイスラームが勃興・イスラームが主力のウマイヤ朝がコンスタンティノープルまで迫るなど、緊迫した状況でイスラームとの均衡を保ちたかった
聖画像の破壊を行った
第2回ニカイア公会議(787)においてイコノクラスムは過ちとされるが、815に再びイコノクラスムが宣言される
イコン擁護論
ダマスカスの聖ヨアンネス(650頃〜750頃)の主張
①「像」(エイコーン)と「原像」(原型)の区別
イコンはエイコーン=像であり、描かれる対象=原像とは異なる
イコンに祈っていても、神そのものに祈っているわけではない
②神に対する「崇拝・礼拝(ラトレイア)」とイコンに対する「尊敬・敬拝(プロスキネシス)」の違い
→ イコンは神の原像へとつながる「窓」
「像」と「原像」の区別、「崇拝」と「尊敬」の区別は、第2回ニカイア公会議(787)の決定に受け継がれた
神の像と肖
旧約聖書(創世記)における人間の創造
「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(1:26)
「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって人を創造された。男と女に創造された。」(1:27)
→ 人間は神の「像」(かたち)と神の「肖」(似姿)をもっていた
人間の堕落=アダムとイヴの失楽園によって、神の「肖」を失い、神とは似ても似つかぬものになってしまった、神の像も損なわれてしまった
神化
東方正教の堕罪・原罪理解
神の「肖・似姿」は失われ、神の「像」は汚れて歪んでしまったが、失われたわけではない
しかし、この堕罪を神と人間との間の完全な断絶とはとらえない
堕罪の後、人間と神との間の結びつきが完全に切れてしまったなら、人が神を目指すこと(テオーシス)は難しくなるから
神の「像」を持つ人間は、神の「肖・似姿」を取り戻す(神に似る)ことができる
そのために人間は、罪を犯すばかりでなく、みずからの意志で神へと向かい、神に似てゆくことができる
神へ再び近づく可能性が残されていること=恩寵
この際、人間の意志は神の恩寵と切り離せない関係にある
神の恩寵を無視すると、意志による善行をもって自力で救われようとするペラギウス派(異端)に近づいてしまう
→ 人間がもつ「神化」(テオーシス)の可能性=神になりかわるという意味ではなく、神に近づくという意味
イコン(聖像)は神化するための手助けになる
人間もまた原像である神のイコン(像)であり、原像への通路を持った存在である
→人間という存在の宗教的意味づけ
ここの人間が原像である神との繋がりを持っているということ
己のうちに神を見るために、絶えず祈りながら、己の内側に集中していくという祈りのスタイル
※神化の思想はロシアなど東方正教圏に特有というわけではなく、例えば西方教会でも、神と人の合一を説いたマイスター・エックハルト(ドイツ神秘思想)などに同様の考えが見られる
この点で、西方キリスト教世界と東方キリスト教世界はかならずしも断絶していたわけではなかった
19c、20cのロシアの宗教思想家たちは、ヘシュカスムをはじめとする東方の伝統だけでなく、ヤコブ・ベーメなど西方の思想家についての知識ももっていて、みずからの著作でしばしば言及している