フィリオクエ論争
フィリオクェ, フィリオケ
フィリオクエ:“filioque”「~と子(から)」
聖霊をどのように扱うかという問題=東西教会の分裂(1054)の火種の一つ
カイア・コンスタンティノポリス信条(ニケア・コンスタンチノープル信条)
「また信ず、聖神・主、生命を施す者、父より出で、父および子と共に拝まれ、ほめられ、預言者をもってかつていいしを」(『正教要理』より)
聖霊は
東方教会: 聖霊は「父から」発出する→子と精霊が同格
西方教会: 聖霊は「父と子から」発出する→子と精霊に上下関係
https://scrapbox.io/files/68e8f2301fec1f63548053c5.png
「フィリオクエ」問題をどうとらえるか
西側の境界が三位一体における統一性を過度に強調(オリヴィエ・クレマン『東方正教会』)
教会のはたらきと聖霊のはたらきからフィリオクエの問題を考えると、聖霊を子なる神の下に置くこと = 「フィリオクエ」を加えることで、教会および教皇(子なる神=キリストの代理者)の権威の底上げを図った?
「フィリオクエ」を加えなかった東方教会、そしてロシアは、人の体を「聖霊が宿る神殿」として聖霊を人と神を結びつけるものと位置付けることで、(特に厳しい環境であるロシアで)有事の際にも、必ずしも教会によらないロシア宗教思想の基礎となった?