システム論・生命論ってさ
なんか危ない部分もありますよね
要素還元主義と対立する傾向にある
ホーリスティックであるため、
宇宙というメタファーは多様性(「そうではない」)を受容する点で最も強力なアンチ多様性の様相を帯びますよねって話
ホーリスティックな全体論的志向を持つ生命論・生気論のパラダイムは、かつてはハーバート・スペンサー流の社会進化論と野合することで、政治思想的には「社会全体の有機的な統合」を称揚する全体主義に、政策的には(あるいは「生−政治」的には)「優生学」へと近接したからだ。現在では、およそこうしたファシズム的志向とシステム論的パラダイムが結びつく危険性は少ないとはいえ、歴史的には以上のような経緯を持つゆえに、思想界においては鋭く警戒されてしまう傾向にある。 あるいはファシズムとまではいかないまでも、システム論/生命論的なパラダイムが科学的言説の域を超えて受容されるようになると、とたんに疑似科学的な言説に接近してしまう傾向にある。なぜならそれは全体論を強調することで高度な専門知/分析知を軽視する方向へ、また創発論を強調することである種の不可知論を正当化する方向へ、さらには進化論を強調することで実証なき壮大な歴史観を提示する方向へと繋がってしまうからだ。具体的には、ニューエイジ思想をはじめとする神秘主義・オカルティズムへと容易に回収されてしまう傾向がある(たとえばティエール・ド・シャルダンの「オメガポイント」やジェームズ・ラブロックの「ガイア仮説」〔ガイア理論〕、ヴァーナー・ヴィンジやレイ・カーツワイル〔Ray Kurzweil〕らの「シンギュラリティ(特異点)」論など、枚挙に暇がない)。その意味でいえば、皮肉なことにシステム論はつねに疑似科学として一般化してしまう「汎システム論」的な状況に置かれているのであり、そのミームとしての繁殖力の高さ自体が分析対象にもなろう。