【検証】将棋ファンがなぜ藤井聡太にこれほど熱狂するのか、将棋ファン自身がわかりやすく解説してみた
この記事について
の補足・検証記事
↑で清書したのでこっちをぜひ
将棋はゲーム
(前略)哲学者の口からこぼれた真理の細かなかけらのようにも聞こえてくるのだ。トッププロでありながら、将棋というゲームの本質に正面から向かい合っている羽生という青年に、私は驚きを禁じえなかった。
「将棋はゲーム」の言及に関しては上記記事で語られている。
内容はnote記事とほぼ同じだが、羽生が将棋をゲームとみることで将棋の真髄を捉えようとしている様子が伺える。
テレビゲームのくだりは筆者が補った、いわゆる一種のこじつけである。
羽生世代は「将棋って(他のテレビゲームと同じで)ただのゲームじゃん」と言いだしました。師匠の家で雑巾掛けとか、内弟子修行とか、そりゃ精神修養にはなるかもしれないけど、将棋が強くなることだけ考えたら時間の無駄だよね?と(言葉はアレですけど、まあ、ズバッと言ってしまえばこんな感じ)。
このパートはすべて筆者の主観で書かれている
人間とコンピューター・対立の時代
対立に関しては事実。
対局規制を発表した2005年10月14日の後、電王戦が開催されるまで人間との対戦は数回しか行われておらず興行にしようとする動きは発生していなかった。
コンピュータ将棋開発者の伊藤英紀は人間を上回ったと言われる2015年までに、羽生との対戦が実現しなかったことについて言及している
2015年10月11日、情報処理学会がコンピュータ将棋の実力は2015年の時点でトッププロ棋士に追い付いている(統計的に勝ち越す可能性が高い)という分析結果を出し「コンピュータ将棋プロジェクト」の終了を宣言した。
この宣言に対してPuella α開発者の伊藤英紀は「3年かかって世の中がようやく俺に追いついたか。まあお前らにしては割と早かったな、と褒めてあげたい」「学会としては、内心はとっくに抜いたと思いつつ、世間にわかりやすいように羽生さんに勝ったとこで終わりにしようと思ってたけど、連盟がいつまでも逃げまわって実現しない。実質抜いてるのにこれ以上続ける動機もリソース/予算もないので、理屈つけて終わりにした、という感じなんだろうな」
そこから棋士とソフトは「対立の時代」を迎えます。将棋ソフトvs人間の棋士の対戦が行われるようになります。それが電王戦です。
むしろ対立の時代が明け、将棋連盟がドワンゴによって重い腰を挙げ、興行としての動きを見せたのが電王戦である。
メンバーリストを見ても若手からベテランまで有力棋士を揃えた本気のイベントであることがわかる。
棋譜とコンピュータの発達
棋譜を誰もが簡単に手に入れられるようになったり、ネット対戦で遠方の棋士同士が対戦できるようになったりとか、
すっ飛ばしているが、実はプロ棋士にとってはこれらはAI以上に大きな変化だったかもしれない。
羽生善治著「決断力」を引用する。
若い私たちの世代の棋士たちが、最初に将棋の研究のためパソコンを積極的に利用しだしたのである
昔からの考え方では、「一局の将棋」はどの道を通ったか、どういう選択をしたがで勝ちに結びつくのではなく、棋士の個性と個性のぶつかり合いで勝負が決すると考えられていた。
(中略)パソコンが導入されて、過去の棋譜を簡単に検索できるようになり、純粋に将棋の技術だけを学べるようになった、
その結果、将棋界全体が棋譜や情報を集めて分析し、研究するという体系的、学術的なアプローチへと変わったのである。
これによって、将棋が勝負するものから勉強するものへと変わったと語られている。
「将棋はゲーム」のくだりはテレビゲームの発売によって生まれたわけではなく、
データベースによって過去の棋譜を参照し、研究することが可能になったことによる時代の変化である。
これこそが、羽生世代が前の世代を一掃した一番の理由かもしれない。
Wikipediaにも、島研時代にパソコンによるデータ管理が発達し、他を圧倒した様子が記されている。
若手との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ(当時、研究は一人で行うのが普通であった。)。中でも、羽生善治・佐藤康光・森内俊之が参加していた「島研」(1986年(昭和61年)頃から1990年(平成2年)頃まで)は伝説的研究会といわれる。
島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験し、島以外は全員が名人位についた。この島研時代の研究量は他を圧倒していた。
対立の時代
棋士とソフトは「対立の時代」を迎えます
実際の棋士は一枚岩ではなく、ソフトを積極的に活用する者、ソフトを否定する者、時代に任せる者と様々な考えがあった。
このことについては、大川慎太郎著「不屈の棋士」から様々な棋士の考え方を読むことができる。
そして2017年、ポナンザの作者は将棋ソフト開発からの撤退を宣言します
記事中にないため補足すると、名人を倒したソフトがPonanzaであり、名人を倒したのが2017年である。
Ponanza作者の引退
(もうソフトの勝ちは明らかだし、これ以上、将棋ソフトの開発なんてやってたって意味ねーよ、みたいな感じでしょうかね)
これも筆者の主観である。
機械より弱い人間の対戦を見て何が楽しいの?と。チェスも、将棋も、囲碁も、プロなんていることに意味あるの?と。
floodgateなど、コンピュータ将棋のオンライン対戦所から棋譜を見ることができるが、機械同士の対戦の観戦を楽しむ人間は将棋ファンと比べると極々少数である。
羽生世代によって「将棋はただのゲーム」と定義されました。ゲームならば結局は勝つか負けるかです。だとしたら、強いのは人間より将棋ソフト(コンピューター)だよねと。
2文目の「ゲームならば結局は勝つか負けるかです。」は筆者の主観であり、あらゆるゲーム観戦を否定しているとも捉えられる。
例えば、羽生世代の一人として挙げられる佐藤康光の『不屈の棋士』の中での言葉を引用する。
将棋はそれほど簡単ではない。一局の将棋を報道していただく時にも、いちばんインパクトのある局面しか記事にされない。でも将棋は平均で110手あるので、少なくとも110の思考とドラマがあります。
いい手もあれば悪い手もあるのが将棋なんです。全部最善手を指さなきゃいけないということであれば、その一局で将棋はおしまい。結論が出てしまうわけだから。将棋は、そういう方法を人間に見つけさせるために生まれてきたものではないと思うんです。結論を出すためのゲームではない。
結論は勝ち負けしかないが、そこへのアプローチは無数にあり、棋士はその中で棋士は人間にしか出せない勝負を見せていけば良いと佐藤九段は語っている。
電王戦で離れた将棋ファン
ここで離れた将棋ファンもいたかもしれません。私は残ったけれども、モヤモヤしたものは当然ありました。
『不屈の棋士』より、森内さんのコメントを引用する
森内: 離れてしまった人がいたら、また新しいファンを獲得するしかないですよね。逆にソフトとの戦いによって将棋に興味を持ってくださった人もたくさんいらっしゃるので、電王戦によってファン層が変化したのかもしれません
電王戦に関しては、ただファンが離れただけではなく、将棋ファンを増やすような興行でもあったと語られている。
名人が機械に負けた
棋界の頂点に立つ名人が機械に負けたわけですから。
2017年に名人が負けたことは実は棋士の間でもファンの間でもあまり話題になっていない。
不屈の棋士でも、その前に2013年に開催された第2回電王戦第5局の三浦九段の敗北をトップ棋士が重く受け止めている様子が書かれている。
2015年の情報処理学会の「トップ棋士を超えた宣言」も消極的ながら棋界に受け入れられた。
そのため、2017年には既にコンピュータと人間との決着はほぼついていると考えている者が多かった。
電王戦は数年に渡って繰り広げられたが、note記事ではわかりやすく2017年の名人vsPonanzaに対象を絞ったのだろう。
三浦事件
三浦九段は巻き込まれたものの、シロだと判明しているおり、「三浦事件」と呼ぶのは不適切と批判がでている。
(シロだということに関しては記事中に書かれている)
「棋士の一分 将棋界が変わるには」で、その前後の将棋界が語られている、
泥沼、炎上、ファンもうんざりに関しては事実である。
(一説では将棋連盟は謝罪金として5000万円を三浦さんに払ってカタを付けたとか)。
これは、記事を将棋に詳しくないものが読むと破格、金で解決といった印象を受けるが、三浦九段が出場できなかった竜王戦の賞金から考えると妥当な額という推定である。
藤井聡太デビュー
奨励会については詳しくないため割愛、おおよそ間違ってないと見られる。
西山朋佳三段はこう語っています。
こちらの記事と思われる。
それを棋士たちが集団で告発し、敵味方に分かれて派閥抗争をするだとか。ファン同士の罵り合いにも疲れ果てていた。
これらは事実である。
圧倒的に有利な状況にもかかわらず、相手の粘りにあって、藤井少年は自分のミスで負けてしまいます。
こちらの記事と思われる
ちなみに当時の状況を、現将棋連盟の理事・脇さんはこう語っています。
こちらの記事である。
母親のくだり
聡太君の母親は、息子がプロ棋士になることに、最初はあまり賛成していなかったと聞きます。お母さんの気持ちはわかります。ちょうど将棋ソフトの強さが話題になっていた頃です。
将来的にプロ棋士なんて職業はなくなるのではないか? 稼げないし、食っていけないのではないか? そんな不安定な世界に息子を進ませていいのか。親だったら当然の不安です
この辺りは確かなソースもなく、さらに2文目以降は筆者による補足である
母親の発言としては以下が見つかった。
「プロは厳しい世界。最年少だからといって、勝てる保証はありません。でも、本人が選んだ道だから、私は応援するだけ。聡太が勝つ姿が見たいです」
上記の記事を読むに、「息子の意思を尊重し自由に育てているが、心配はしている」といったところだろうか。
「お母さんは(将棋)ソフト、嫌いでしょ?」
特に、AIは心配の種だったのかもしれない。
盤上の物語
彼らは将棋ソフトの台頭で「自分たちの存在意義がなくなるのでは?」と右往左往していた。
前述したように棋士は十人十色の考え方を持っている。
再び『不屈の棋士』より引用する。
例えば、ponanzaに負けた名人である、佐藤天彦はこう語っている。
「人間が楽しむには今の将棋がベストなのだから、たとえソフトが強かろうと関係ない。結局人間が楽しめなければ意味がないですし、それとソフトの存在は別問題なのです。」
また、他のトップ棋士もこう語っている
羽生善治「自分にできる将棋をやっていくしかありません」
渡辺明「人同士がやるからゲームとして楽しんでるんです。」
他の棋士に関しても右往左往している様子は見受けられない。
ポナンザ作者
(ポナンザ作者の山本さんが、あの記者会見のセリフに何を感じたのか、ぜひとも聞いてみたいなぁ)
筆者はポナンザ山本さんが嫌いなのかもしれない。
最善手外し
某掲示板では、藤井聡太は序中盤であえて「最善手」を外して指している、という噂が根強くあります。
事実だと思われる。ただし藤井聡太に限らない。
オセロでは最善手外しは頻繁に行われている
将棋でも勝負手が最善手ではないというのはよく知られている。
また、ソフトの発達によって、研究を外すために最善手を避け力戦に持ち込む展開が増えたという話は「不屈の棋士」でも語られていた。
小学生時代
聞くところによると、藤井聡太は小学校6年間、友達と将棋以外の遊びをしたことがないそうです。鬼ごっこも、かくれんぼも、女の子とイチャイチャしたこともない。
以下の記事では真逆のことが語られている。
小学校低学年のときには、家庭訪問に訪れた担任教諭を木の上で出迎え、驚かせたこともあったそうだ。
「友達とよく遊び、食べることが好きで、ドラえもんが好き。どこにでもいるふつうの子供でした」。ただ、好きなことにはとことん熱中した。
また、以下の記事でも藤井聡太の小学生時代が語られている。
詰将棋
藤井聡太の偉業の一つに詰将棋解答選手権五連覇があります。彼は詰将棋のことを「作品」と呼びます。問題でも、設問でもなく、「作品」です。
彼は詰将棋というパズルを、小説や音楽のような、作者の意図が込められた一つの「芸術」だと言っているのです(詰将棋作家たちが感激したのは言うまでもありません)。
詰将棋の世界では詰将棋のことを一般に「作品」と呼ぶ。藤井棋聖に限らない。
作者の意図(作為と呼ばれる)が込められているのも当然だし、藤井棋聖が「作品」と呼んだだけで詰将棋作家が感激することも考えにくい。
この記事でも、一貫して「作品」と書かれている。
詰将棋の模範解答は「作為手順」と呼ばれる。この表現からも詰将棋が作者の意図が込められた作品と考えられていることがわかる。
ただのゲームから一遍の物語
こうして羽生善治によって「ただのゲーム」と定義された将棋は、30年の時を経て、令和の今、17歳の少年によって「人間同士が盤上で綴る一遍の物語」となったのです。
この一文からは、大山さんの時代には個性と個性をぶつけ合う勝負だった将棋が、
羽生世代によって「ただのゲーム」として扱われ、藤井棋聖によって再び物語となったという印象を受けてしまう。
しかし、羽生世代によって作られた、将棋をゲームだと捉えて純粋に技術を伸ばそうとする文化を、
現在まさに体現しようとしているのが「将棋が強くなりたいという純粋な気持ち」を持った藤井棋聖である。
もちろん藤井棋聖も将棋について、夢中になれる奥が深い「ボードゲーム」だと考えている。
そもそも将棋というゲームに出会って、それが楽しくて夢中にやってきたというのがここまでつながったと思っているので、そういった自分の好きなことに全力で取り組んでみてほしいなというふうに思います。
藤井棋聖:
将棋は本当に難しいゲームで、対局のたびに何手か新しい発見があるものなので、これからも探究心を忘れずにやっていきたいという思いを込めました。自分としては、できる限り強くなりたいと思っています
まとめ
羽生九段の「将棋は完全なボードゲームである」の流れを汲み、ゲームの本質に正面から向かい合う姿が、
藤井棋聖をはじめとした現代の棋士たちにも受け継がれているように感じられる。
また、一遍の物語に関しても、ここまでの検証からわかるように、藤井棋聖によってのみ将棋が昇華されたわけではなく、
人間同士の将棋の魅力を伝えるため、できることを皆が懸命にやっているという印象を受けた。
藤井聡太のデビューにより注目を浴びた将棋界の益々の発展を願っている。
参考
決断力 (角川新書) | 羽生 善治
不屈の棋士 (講談社現代新書) | 大川慎太郎
棋士の一分 将棋界が変わるには (角川新書) | 橋本 崇載