龍樹の四重否定
「私が知っていることといえば、マインドはときどき作用し、ときどき止まるということです。
精神的沈黙の体験を、私はマインドの停止と呼んでいます。」
マハラジ
それを沈黙、または虚空、あるいは停止とでも呼ぶがいい。
事実は体験者、体験されること、体験の三つが不在だということだ。
自意識、あれやこれとしての存在の感覚はない。
自己同一化されない存在が残るのだ。
質問者
それは無意識の状態なのでしょうか?
マハラジ
それは何とでも関係している。
それは対極のものだ。それはまた、
すべての対極の中間であり、
その彼方でもある。
その中間でもその二つを超えたものでもない。
それはそれ自体で在り、
質問者
なんと奇妙な! あなたはそれが体験であるかのように話をします。
(p181)
マハラジ
私がそれについて考えたとき、それは体験になるのだ。
質問者
目に見えない光が花に遮られて色となるように、それは体験となるのでしょうか?
マハラジ
そうだ。
それは色のなかにあるが、色そのものではない。
質問者
これでもなく、
それでもない、
その両方であり、
そのどちらでもない。
めまいがしそうです!(p182)