雑に読む『センスの哲学』
from 2025/01/13
雑に読む『センスの哲学』
以前聞いたBC091『センスの哲学』 - by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリストが頭に残っていたせいか、 本書で推奨されている方法で読まれるように章立てされているのでは?という感想を持ったmeganii.icon
大意味よりも小意味、構造的なリズム。ビートとうねり = 反復と差異を本書からも感じて欲しいと言われている気がしたし、そのように読んでもいいんだという感覚を得た。
下手とヘタウマ
こうでなればいけないというモデルに近づけようと、きっちり合わせることを目標にしてしまうと、自由がなくなって窮屈になる。センスの良さというのは「余り」だと思います。p181
https://gyazo.com/d57b9aa957976dbb201930cbc6735fba
写真的正確さからはズレていて、そのズレが味であり、そのズレがユーモラスだと「ヘタウマ」になる
再現がメインではなく、自分自身の線の運動が先になる
モデルを目指してできないのではなく、自由な運動のなかで何かを捉えるときに、その個性はヘタウマだと言われる
自分に固有の、偶然性の余らせ方を肯定する
https://gyazo.com/f52dfbcdf37bc7d2ed06c141ec5f4808
「とりあえず手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性で何ができるか?」と考える。規範に従って、よりレベルの高いものをと努力するのも大事ですが、それに執着していたら人生が終わってしまいます。人生は有限です。いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。
・人生の途中の段階で、完全ではない技術と、偶然性とが合わさって生じるものを、自分にできるものとして信じる。 p183
いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかないんですよねmeganii.icon
センスとアンチセンス
"センスは、アンチセンスという陰影を帯びてこそ、真にセンスとなるのではないか"
https://gyazo.com/ce55e1314595142050f9cf164b520265
狭い一人暮しの部屋から「センス」を求めて旅立った本書は、最後、無自覚な身体性としての生活感、どうしようもなさである「アンチセンス」に帰ってきた。まるで、『アルケミスト 夢を旅した少年』のように、サスペンス的にmeganii.icon