連歌
和歌には上の句 (5・7・5) と下の句 (7・7) とがあり、あわせて一首となります。通常はひとりで一首を詠みますが、この上の句と下の句を複数の人で分担して詠みあう形式を”連歌”といいます。平安時代後半までは、短歌の上の句と下の句だけを二人で詠むのが主流でしたが、平安時代末期ころになると、二人または複数の人たちが 5・7・5 と 7・7 をいくつもつなげて詠んでいく形式が主流となりました。
連歌は、鎌倉時代から室町時代にかけて、貴族・武士・庶民を問わず全国的に大流行しました。あちこちで連歌の会が催され、連歌師と呼ばれる連歌のプロも生まれたほどでした。連歌をうまく詠むことができた人には商品が出るような、娯楽性の強い連歌も行なわれる一方で、優れた連歌師によって純粋な文学として高められもしました。とくに主流だったのは、全部で 100 句をつなげていく百韻連歌と呼ばれるものでした。 形態