議論が平行線を辿るのはありかなしか
議論が平行線を辿るのはありかなしか
「議論が平行線を辿るのはありかなしか」「僕の目的に照らし合わせて有益かどうかで決まる」nishio.icon
平行線の議論から得られるものがなかったらスッと離れたりする
平行線の議論をしてる人たちがコンテンツを生み出してて、それが面白いなぁ(=個人的利益がある)と思ったら議論が継続するように介入する
介入の具体例
たとえば片方が大学教授でもう片方が学生であるような場合に大学教授の側が感情的に自分の意見の押し通しをしようとしていると感じたら、それは面白くないので叩かれている側に助力する
対等な議論が行われているうちに、片側が賛同者を集めて3対1みたいな構図になってる時、単なる多数決で押し切られて議論が終わると面白くないので少数派側の意見の良いところにライトを当てる
意見(コンテンツ)が出尽くしたら放置する
時間経過でまた新しい芽が生えてくることがある、これも楽しい
広く長く草が伸びてあれば、将来的に芽を出す確率も上がるんじゃないかと思ってる
ので将来への投資として広がる方向に進める
逆に「削除しよう」という主張には強く反対する
なんらかの理由で平行線状態を終わらせたいと思ってる場合には逆のこともする
その平行線状態が、ある議論参加者の意固地に由来すると分かった場合...その議論参加者を除いての議論が続行されるだろう
その議論参加者を追放するのは酷いのではないか久住哲.icon
具体的に最近やった事例
「この議論は平行線なのでこれ以上時間をかけても仕方ないですね」と言う
それまでの振る舞いで「意固地になってる人X」は自分が少数派意見であることを理解している
打ち切られるということが明示された場合、Xは打ち切られて自分の意見が無視されることによって自分のプライドが傷つく未来が予見できるので、方針転換をして平行線を解決するインセンティブが生まれる
Xが十分賢ければ有益な妥協案が出てくるし、出てこなかったら単に打ち切れば良い
まあこれは十分に賢いと仮定できる状況でしかやらない、一般的なネット上の議論ではシュッとミュートする
この行動は難しそうだ基素.icon
一般論として議論から人を追放することが「酷い」かどうかは、議論の性質に依存しそうな気がする
たとえばみんなでなんらかのリソースを持ち寄ってから「これをどう使うか」を決めようとしてる会議において、少数派を追い出してしまうことはある種のカツアゲだと思うので酷いと思う
みんなで協力して何か生産的なものを作ろうとしているときに、自分の主張ばかりして生産的でない状態に陥らせる人がいる場合、追放することが公益な気がする
とここまで書いてから、この二つの境目があんまりクリアとは言えないなと気づいた
議論も「囲碁や将棋のようなゲームがしたいケース」と「マイクラでみんなで協力して何かを作る的なことがしたいケース」とある
「マイクラでみんなと世界を共有してて先に進んでる人がものをくれたりするけど、結局レアなものは自分で頑張るしかない」が一番近い気がしてきたw
わかるcak.icon
議論の場におけるメンバー間の信頼度によってもアリかナシか変わる気がしますcak.icon
ある程度信頼のある仲間同士だと何かが生まれる可能性があるのでアリだけどネット上の不特定多数の場だと平行線の議論を続けてもあまりいいことがない気がする
仕事の文脈ですが、(ティールでいう)当事者性的なものを持ち込んで収束に導く、はたまにやりますsta.icon
責任持って行動する人に任せます、的な
これだと「ナシ」になるか
誰も行動したがらないなら放置
これだと「アリ」か
井戸端含めコミュニティ上で平行線な議論に遭遇したというシチュだとsta.icon
傍観者としては面白い(アリ)
感情論になったり、普段論理的な人が論理破綻したりするのは人間を見ている感じがして面白い
当事者になるのは勘弁(ナシ寄り)
自分から横槍入れて何とかしようとも思わない
仮に自分が当事者で平行線になりそうだったら「🙇へぇへぇ、あなたが正しいです!」とか演技してさっさと終わらせようとするきらいが強い気がする
(で、自分のスクボでは持論を書きなぐるw)
一方で、自分のスクボで引用しながらダシにする、はよくやる