論より詭弁
昭和三三年香川県生まれ。筑波大学第一学群人文学類卒業。同大学院博士課程教育学研究科単位修了。琉球大学助手を経て、現在、宇都宮大学教育学部教授。専攻は修辞学(レトリック)と国語科教育学。 著書に『反論の技術』『議論の技を学ぶ論法集』『修辞的思考』『レトリック式作文練習法』〈中嶋香緒里と共著〉『教師のための読書の技術』(以上、明治図書出版)、『論争と「詭弁」』(丸善ライブラリー)、『議論術速成法』(ちくま新書)、『「論理戦」に勝つ技術』(PHP研究所、同韓国語版、Hans Media)などがある。
みなさん、いままで論理的に考えてきて、
何かトクしたことありますか?
議論力・反論力を身につけるための一冊
私は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その私が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。 (本文より抜粋)
■力関係が対等でない間で、対等な議論が成り立つのか?
例えば、ある会社の入社試験の面接で、人事担当者と受験者が、その会社の製品のCM内容をめぐって議論になった。人事担当者は議論を打ち切り、「これはわが社の方針なのだから、それに従えないのなら入社は諦めてもらう」と宣言した。これに対し、大学でディベートで鍛えあげたその受験者は、相手の非論理的思考を非難し、こう金切り声をあげた。「それは虚偽だ、詭弁だ、『力に訴える議論』だ! 事柄の是非を突き詰めて議論せずに脅迫で自分の意思を通そうとするのは思考の停止だ!」――もちろん、人事担当者は、「ああ、詭弁で結構だ」と、彼を退室させようとするだろう。少なくとも私ならそうする。
(本文より抜粋)