菅原道真
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めたが、藤原時平の讒言(昌泰の変)により、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後は怨霊になり、清涼殿落雷事件などで日本三大怨霊の一人として知られる。後に天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神様として親しまれる。太宰府天満宮の御墓所の上に本殿が造営されている。 春の風が吹いたなら香りを送っておくれ。
梅の花たちよ、主の私がいなくなったからといって、春を忘れずに咲くのだよ。
文献によって記載が異なる。
「拾遺和歌集」「大鏡」「源平盛衰記」
では「春を忘るな」になっている。
「宝物集」「十訓集」「古今著聞集」「延慶本平家物語」「太平記」
では「春な忘れそ」になっている。