色んな分野の真理について
from 2025/09/27
色んな分野の真理について
真理は社会的構築物をダシに
真理についての合意が人文系と自然科学系で取れていないのではないか?
真理は共同体の合意によって定まる vs 絶対唯一の真理が存在する
物理学の結果に対して「真理は共同体の合意によって定まる」という姿勢で見るとおかしなことになるし、
心理学や社会学の結果に対して「絶対唯一の真理が存在する」という姿勢で見ると無理難題な検証を求めることになる。
そうじゃなくて、唯一絶対の真理と共同体の合意による真理の2種類があって、その構造は唯一絶対の真理を礎にしてその上に共同体の合意による真理が乗ってると捉えるのが良いだろう。
お互いに担当が違うと言う意識を持つべき
そうしないと自分の領域での価値観をベースにトンチンカンな批判を他分野に対して行ってしまう。
ただ、担当が違うとはいってもより尊重されるべき真理というものがある
物理的な観測結果等の揺るぎないものはより尊重されるべきだろう
物理的なモデルの方は揺らぎうるので観測結果との整合性が満たされる限り異なるモデルも対等
つまり、観測結果とモデルでは観測結果の方が尊重されるべきということになる。
物理的な真理は尊重されるべきだ。
物理的な真理に矛盾する理論は実世界の中で有益な理論にならない。
例えばEarthが丸いと考えなければ球面三角測量が使えず船が迷ってしまう。
例えば相対論を考えずにニュートン力学だけ考えると考えなければGPSの計測誤差が発生する。
歴史の取り扱いにおいて非常に残念な事態が発生しているらしい。
資本主義はプロテスタント由来なのではないかという学説が提唱され、その後歴史学的には否定されたらしい
別の人文科学(社会学や経済学だったかな?)では近年何故か資本主義プロテスタント由来説が支持され盛り上がっているらしい
全部人から聞いた話やけどほんまかいな。
流石に歴史学に反する事を言ったら「嘘付き」になるから歴史学的な真理は尊重されるべきだろう。
歴史学的に(正当な手続きに則って)「やっぱ違ったわ」と覆ってしまったら、(それを知っていながら)旧説をそのまま引用したら「嘘付き」ということになる。
何らかの真理を論拠にして説を唱えるのであれば、その真理は尊重されるべきだ。
つまり、その真理が「やっぱ違ったわ」と覆ってしまったら、その説も撤回もしくは修正が必要だ。
尊重されるべきは真理であって分野ではない事に注意したいところだ
物理学者が偉いのではなく、物理的な真理が尊重されるべきなだけ
歴史学者が偉いのではなく、歴史的な真理が尊重されるべきなだけ。
如何なる事があっても否定されたくない「信仰」は反証可能な真理を拠り所にすべきではない。
例えばEarthが平らだと信仰していると、Earthが丸いと考えなければ球面三角測量が使えず船が迷ってしまう。と言われると信仰が揺らいでしまう。
例えば歴史が6'500年くらい前に始まったと考えると、放射年代測定法等で計測される古の地層を提示された時に信仰が揺らいでしまう。
例えば2'600年くらい前にマトモに人も住めないような土地に我々の先祖がやってきたと考えると、それより前の旧石器時代の土器が発掘された時に信仰が揺らいでしまう。
そうやって信仰が揺らぐたびに真理に関して不毛な議論がかわされるし、嘘学説が生まれるのだ。
「神が我々には想像し得ない御心を持っていて、我々とこの世界を生み出した」程度の信仰であれば否定しようがないから持っていても良いことになる。
そこから導出した(つもりの)信念が真理によって反駁された時にもこの信念は揺らがない。
そもそも想像し得ない御心を想像してアレコレ考えているのだから、「私が想像した神の御心は本当の神の御心とは違ったらしい」程度のダメージで済む。
リスボンで、こともあろうにカトリックの祭日に大地震が発生し、街が壊滅した時には「神が慈悲深いはずがない」と信仰の揺らぎが起こったようだ。
そういう悲劇が起こっても信仰の根っこが想像し得ない御心であれば、そもそもお祭りを神が見て「キショい」と思って怒ったかもしれないし、気まぐれに人を大勢殺して遊んでいるだけかもしれない、と想像し得ない御心までは否定できない。
こういうことを考えると、もしかしたら既存の宗教にはこの条件に適合するような宗教は存在しないかもしれない。
仏教は筋が良いだろうか?
この「真理の定義が異なる」という指摘は有益なもので、実際理系の僕が技術経営学専攻に入ったときに先生がみんなにおすすめしてた書籍は「科学哲学の冒険」だったnishio.icon
理系の人間にとって、まず「真理とは唯一絶対のものである」というとらわれを捨てることが大事、という教育方針だと理解している
「科学的真理は社会的構築物である」という考え方も存在する、ってことがこの本を読んで印象的だった
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/社会構築主義
真理は社会的構築物
昔のGPTに説明させたページがあったw
エゴセントリックとアロセントリックでも違いそうsta.icon
エゴは自分が真理感
いや、違うな、「共同体の合意によって定まる」側がさらにエゴとアロに分かれそう
存在に基づく議論は不毛になる
位置エネルギーって嘘なんですよ
エネルギーというものが「存在する」と思うから嘘とかホントとかになる
「観測結果を上手く説明する理論の中で現れる保存量をエネルギーとして扱う」と思っておけば嘘とかホントとかそういう話じゃない。
物事を上手いこと説明付けられる概念が良い概念だ
自然科学でも、人文科学でも
カロリック(熱素)は提案当時に現象を上手く説明付けられたから採用されていたが、
蒸気機関の発明あたりで誰かが疑問を持って元素的なものよりも粒子の振動の方がうまく説明がつくと考え直されたので今日では不採用となっている。
本当は天が地球を回っているかもしれないが、地球が太陽の回りを回っている方が惑星運動と星の歳差運動の説明が首尾よくまとまる。
天が地球を回っているかどうかは観測できないから形而上学的な議論として脇に置かれるんだ。
数/物/化学は物事をよく切り分けて議論できるが、それ以外の学問は概念の切り分けの時点で議論が発生する。
物理で波と粒子の境界がよく分からん等ある程度の問題はある
化学の方でも何かあるかもしれん
水素イオン$ \rm H^+なのか?ヒドロニウムイオン$ \rm H_3O^+なのか?
水$ \rm H_2Oなのか?水酸化水素$ \rm HOHなのか?水酸化ヒドロニウム$ \rm H_3OOHなのか?
そもそも別れてるんか謎っていう話もあるな
生物の方は種の分け方や種そのものの概念、果ては「何が生物か」までキレイに定義するのは難しい。
交わって生まれた子どもが生殖能力を持つか否かで種を分けている
そうすると輪状種と呼ばれる物が観測される。代表例としてセグロカモメがある。
$ A\approx Bを交わって生まれた子どもが生殖能力を持つ(交雑可能)とすると、
$ A\approx B,B\approx C,C\approx D,...,Y\approx Zのように隣り合う地域の種が交雑可能なのだが、この連鎖が地球を一周して$ A\not\approx Zとなっている
曖昧な境界には時に政治的に境界線が引かれる。
上手いこと説明付けられるの「上手いこと」が「政治的に都合よく」の意味で決まることがある。
日韓併合の際には韓国語が日本語の「方言」として解釈可能であることを指示する研究がよく行われたらしい
沖縄方言が「方言」なのかそれとも「ウチナーグチ」という別の言語なのかという議論があったりするようだ
「共同体の合意によって定まる」という言い回しがなんかこれじゃない感があるmiminashi.icon
合意…なのか…?
合意と表記したとして(合意というタームがあったとして)、合議みたいな意味で捉えられがちな気がするんだけど、少なくとも合議ではない、と思う
共同体じゃなくて協働体って表記したいんだけど、みたいなあたりはこの際どうでもいい
暗黙的に定まってきたことも合意の一種と思ってたsta.icon
現代ではロリ(ここでは男性が10~13歳の女性を恋愛また性的対象とみなすこととする)はタブーだが、これも人類が定めてきた合意
戦国時代はロリとも結婚していた、これも合意
この例示が井戸端っぽくて良いmiminashi.icon