自然の斉一性原理
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仮に自然科学の基本的な方法である帰納法を使って正当化を試みても、帰納法そのものがこの原理を使用するため、正当化は不可能である。具体的に示すと以下のようになる。 1. 今まで自然の斉一性を仮定して、うまくいった。
2. だからこれからもうまくいくだろう。
これが帰納を用いた自然の斉一性の正当化だが、1行目から2行目に進むステップで、自然の斉一性が使われている。今までうまく行ったとしても、明日からはうまく行かないかもしれない、という可能性が排除されている事がそれにあたる。つまり斉一性原理の正当化は循環論法に陥り、うまくいかない。 うまくいっていたことがうまくいかなかった時に何かあるだろうと考えるのは自然の斉一性原理を仮定していることになる?基素.icon
これを認めない立場は意識が連続でないという思考実験を思い出す(寝る前の自分と寝た後の自分は同じ自分なのか?)
だが、自然の斉一性を仮定することは科学の基礎でもある。現行の自然科学は、基本的にひとまずはこの原理を仮定することによって成り立っている。 すなわち、アブダクション(発見)→仮説「全てのF(F1、F2、F3……)は~である」→予測「どのようなFも~である」→予測に相応する観察「F1は~である」という一連の仮定の根底に、この原理が置かれるわけである。 表記揺れまくり基素.icon