罪を憎んで人を憎まず
犯した罪は憎むべきだが、罪を犯した人まで憎んではいけないという教え 犯した罪は悪いから罰するべきだが、罪を犯すには事情もあったのだろうから、その人まで憎むのはよくないということ。
『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)」から。 「憎む」は「悪む」とも書く。
聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があり、孔子の「罪を憎んで人を憎まず」と同じ意味と解釈される。
ヨハネによる福音書に「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があるのか?cFQ2f7LRuLYP.icon これをつまり「罪を憎んでも人を憎まず」の心だと解釈することはあるようだ
そうして、そこに残ったのはその女性とイエスの二人。イエスは身を起こして、告げました。「わたしもあなたを罪に定めない」。(以前の訳では「わたしもあなたを罰しない」。)この言葉に、罪のゆるしが告げられています。罪を罪としつつも、その人の全存在と向き合われ、「罪を憎んで人を憎まず」という、主イエスはまさにそのようなお方ではなかったかと思います。「わたしもあなたを罰しない」と、静かに向き合って話しているその声の語調や眼差しが、わたしたちにも想像できるのではないでしょうか。
Hate not the person but the vice.(人を憎まずに罪を憎め)