水戸黄門が殺陣の後に印籠を出す理由
テレビドラマの水戸黄門で、ご老公が殺陣(助さん・格さんらによる懲らしめ)のあとに印籠を出すのはなぜなのか? 殺陣の前にさっさと印籠を出して控えさせればよいのでは?
というようなことがよく聞かれる。mgn901.icon
いや、今ではそんなこと聞くひとは、あんまりいないと思いますよ suto3.icon
水戸黄門を話題に挙げると聞かれますね。mgn901.icon
mgn901.iconの周りが特殊な環境なのか?
「よく」が曖昧だから意見がすれ違ってるだけで「聞く人が存在する」なら観測事実なのではnishio.icon
mgn901.iconの友人などの見解
強さを見せつけてから印籠を出すことに意味がある。
暴れん坊将軍と違ってご老公は「前副将軍」でショボい感じがあるから。 暴れん坊将軍は吉宗が身分を明らかにした状態で殺陣がスタートする。
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絶対気持ちよくなるためでしょと思うけど印籠先出しと後出しを比べて機能を考える
「意図的に徳川家の人間の殺害を試みる事案」が起こる可能性を回避する
まず御老公一行は極めて少人数かつお忍びで旅をしている
最初に印籠を出すと、黄門パーティの戦力評価を誤ってそれでも殺害を試みる可能性がある
少人数かつお忍びなので始末してしまえばいい
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実際に数件発生してしまった事案があったはず
「この者は水戸のご老公を騙る偽物」パターン
zipを要求する麻呂
徳川の権威を見せた上で刀を向けることになる
印籠先出しでも結果として悪人は厳しい処罰を受けるが、事態が極めて大きくなるかもしれない(想像)
町の権力者だった場合町ごと?
御老公の全国の旅にも影響が出るかもしれない
徳川の権威に向かって歯向かわせないためには、武力で制圧することが不可能であることを見せた上で印籠を出せばよい
敵がバチクソ強くてマジで死にそうになったら一か八か印籠見せよう
このリスキーなスタイルが成立するのは弥七、飛猿、お銀といった忍びがいるからかもしれない
悪人が水戸黄門一行を始末しても幕府に伝達する手段が残っている
悪人を確実に処罰できる
悪人は権力者である場合がほとんど
権力者の悪行について裁判を進める
権力者を裁くときにうまく機能するだろうか?
例えば町民から財産を絞り上げてたとして、それが立件されたときに「いやぁ計算狂ってましたね、ごめんなさい。気をつけます」で済みそうな感じがする
悪の描かれ方として、上(幕府)に気づかれないように下(民衆)に悪さをしている人々、なので当然隠蔽に力を入れている
このとき、「結果として御老公に刃を向けた」という事実が加わると処罰が確実になる
悪事が暴かれそうになったときに人間を殺そうとする本当にやばいやつであることが確定
徳川家に刃を向けた時点でその人の破滅は確定しているので誰も忖度しなくなる 殺陣の前まで悪人に従っていた人達が、殺陣の後は御老公に従って悪人を連行する理由の説明にもなりそう。mgn901.icon
もっとも悪人よりも御老公のほうが偉いからというのもあるけれど。
印籠先出しで徳川家への忖度も発生するかもしれないが、権力者への忖度が裁判の結果に影響を与えるのはいかにも水戸黄門で描かれる悪人サイドっぽい状況
ストーリー上印籠後出しのほうが整合性がとれそうですね。mgn901.icon
エンタメ的都合(ご都合主義)の不自然さを物語世界の内部から解釈しようとするのは分析美学っぽいはるひ.icon suto3.icon
昭和の時代の鉄板ネタなんだけど、ここで話をしてもいいかな?
初期の水戸黄門では、殺陣だけやって、印籠を出さずに事件を解決した話がある
お忍びでの行動としてはリアルで正しい
でもこれだと、暴力で事件を解決したことになり、なんとなく納得感が足りなかった
あと山賊とか、徳川の権威がまったく通用しない敵が出てきたりした
いつものパターンとは全く違う作劇になる
こういうひねった脚本は、視聴者のウケが悪かったみたい