有害な論法
from 2026/05/12
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タダの誤解や誤謬じゃなくて有害な方法(詭弁など)で議論を行う人に対しては譲歩無く立ち向かうほうがいいっぽい。
この考え方だと、誰を守って誰を守らないのか、誰ならシバいてもいいのかみたいな話に繋がるから良くないと言えばそうなのだが。
現実的に、無から根拠らしきものを生み出して、議論には徹底的に面倒くさい方法で応戦することで本当にそうであるかのように見せかける手口が有り得るので、いざという時はヌルいことを言っていられなくなる。
トンデモや証拠偽造、捏造のほか、日常の範囲内では噂など
なお、無から生み出された噂により本当にそれに類することが起こった事例として、「豊川信用金庫事件」、「オイルショックのトイレットペーパー買占」、「コロナ禍のマスク買占」等がある。
ここで、譲歩をしないことと苛烈に非難して痛めつけることを混同してはならない。
有名な例を引き合いに出すと、姦通した者を許さないのと、姦通した者に石をぶつけることは別である。
一切の譲歩無く全く許さないが石は投げない立場を取ることと、石を投げる立場を取ることは別である。
譲歩無くという文言に非難の奨励を見出してはならない。
有害な議論への譲歩は有害な議論と同様にもしくはそれ以上に有害である。
自分と相手だけの会話ならいざ知らず、場に複数名存在する場合、更に関係者が複数名存在する場合について考えると、中途半端なことをすると、事態が悪化する。
簡単のために、何の罪もない善人Aと、悪人Bをモデルとして立てる。(ここで、人には多かれ少なかれ善も悪もあるなどということは場外の議論であることは言うまでもない)
悪人Bは善人Aに、何らかの言い掛かりを吹っ掛けるものとする。
次に仲裁者Mがそのような揉め事の仲裁を試みた、あるいはMがBの悪事を咎めたとする。
その際にBが抵抗したものとする。
ここで、Mが少し譲歩して、それに対してBが勢いづいたとする。
この際にAがBーM間の議論の内容を詳しくは理解出来なかった場合、特に「Mが単に譲歩しているだけ」ということが伝わらなかった場合、Bの主張に何らかの正当性があるかのようにAには感じ得る。そのような事態が発生するのは有害である。
ヤバい論法の組み合わせ(ダメな手口)
その前に、「手口」とは言うものの、行為者は意図してやっているとは限らず、種々の行き当たりばったりの反応の組み合わせが結果的に狡猾な謀略のように働くことがある。
まず、「特定個人を寄って集ってアレするのは虐めに当たり許されることではない」ものと周囲に了解させておく。(A)
次に、誤った信念に基づく放言により他人を困らせる。あるいは、故意の言い掛かりにより他人を困らせる。その他全体的に嫌がらせをする。(B)
更に、これを繰り返すことで、自分に対するヘイトを全体的に集める。
ここで、全体的に集まったヘイトが自分に向いた場合、(A)を利用して全員に罪悪感を感じさせることで反撃する。(C)
あるいは、これを予期させることで、全体的にヘイトが溜まっていてもそれを言い出しづらくする。(D)
特定の個人がそれを無視して、(B)について問題を指摘した場合に徹底的に詭弁ないしは誤謬を弄して議論を積み上げて疲弊させる他、議論を複雑化させてログを追いにくくする。
この手法のヤバい所は何らかの目的を持って行われる計画的な方法ではなく、種々の反射的な反応の組み合わせであっても結果的に全体を見通すとこのように巧妙に手の込んだやり口が行われたように見えること。
A, C, D は虐められた際の防衛や、虐めに対する立ち向かい方であり、経験により身についたり、虐められた人を守ろうとする正義感から自然な発想として生じ得る。
B については、過去の経験や他者からの教えにより誤った信念を形成することがある他、言い掛かりや嫌がらせについても意図的に行なっていない可能性も考えられる。そのようにすると得になるという自分の中だけで完結する考えの結果としてそのような行動を取ることもあり得るし、そもそも言い掛かりや嫌がらせに該当すると思ってもいない可能性もある。
最後のケースは道を歩く際に故意でなくても結果的にアリを踏み潰して殺していることがあるのと同じ。あるいは、脆いと知らずに触った機械があまりにも脆くて壊れてしまった場合と同じ。