月をなめるな
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大学四年生の清水勇希さんからむちゃくちゃに面白いメールを頂戴した。これはここで紹介せずばなるまい。ハードSFファン必読。 清水さんが就職活動中の出来事である。某社の採用試験で“グループ・ディスカッション”をやらされ、その題材が“アレ”であったのだそうだ――
採用希望者が何人か集まって、与えられたテーマについて議論する。
審査官は黙ってその様子をチェックする、という試験です。
私が部屋に入ると、そこには一人の審査官と、7人の大学生がいました。
最初に全員の自己紹介。いわゆる“名門大学”の学生も何人か混じっていたのを覚えています。
自己紹介が終わると、審査官は一枚の紙を全員に配りました。そこに記されていたの は以下のリストです。
・酸素ボンベ(40kg×8)
・飲料水(30L×8)
・パラシュート
・4平方メートルの白い布
・ビスケット
・粉ミルク
・非常用信号弾
・宇宙食
・ライター
・45口径の拳銃
・方位磁石
・無線機(受信のみ)
・救急用医療セット
なんだこりゃ、と私が顔をあげると、審査官は宣言しました。
「あなた方8人が乗っていた宇宙船が故障し、月面に不時着することになりました。
着陸の際の衝撃で宇宙船は大破。あなた方にお渡ししたのは、中から持ち出すことができた品物のリストです。救助隊とのランデブー地点まで180km、あなた方はその距離を自らの足で進まなければなりません。現在の状況下でリストの品物に優先順位をつけてください。質問は一切受け付けません」』
はいはいはいはい、アレでありますな。おれは就職試験ではなく、会社に入ってからの新人研修でやらされた。詳しくは知らないが、NASAが考案したとかしなかったとかいうやつだ。最初にひとりで考えさせられ、次にそれを持ち寄って数人のグループでディスカッションしてさらにグループ回答を出す。たいていの場合、個人回答よりはグループ回答のほうが想定されている正解に近づくので、ディスカッションは大切ですねと体験させることができる。まあ、おれが思うに、日本の場合は、ディスカッションそのものの訓練が学校生活に於いてろくろくなされていないため、このテストをやらせているほうの理想とやらされているほうの実態とは、『十二人の怒れる男』と『12人の浮かれる男』くらいちがう。
続きを聴こう――
『まさか就職活動中に月面で遭難することになろうとは。
予想外の展開に、私はわくわくする心を抑えられませんでした。
まず、これらの品物は宇宙空間仕様になっているのかを考えねばなるまい。そうでなかったら、ライター、拳銃は使い物にならない。おそらく信号弾もだめだろう。そしてさらに重要な点として、装着している宇宙服は、外部から食料を供給することが可能なのかという問題がある。月面で顔をむきだしにしたらどうなるかなんて考えたくもない。
といったことを私が一人で考えていると、他のメンバーが手をあげて自分の主張を始めました。
……その内容は、驚くべきものでした。
「パラシュートはあったほうがいいでしょう。崖があったら降りられない」
「この白い布ですけど、ライターで燃やせば救助隊への目印になりますよね」
「酸素ボンベは重すぎて持ち運べない。海にもぐる必要はないだろうし、おいていきましょう」
「水も最小限でいいんじゃないですか? 足りなくなったら途中でくめばいい」
途中まではジョークに違いないと思いながら聞いていましたが、誰もにこりともしません。
どうやら彼等は本気のようです。
やがて私の番がまわってきたとき、すでに私は冷静さを失っていたのでしょう。
「月をなめるな」
それが私の第一声でした。
その後、えんえんと月面について語り、そのままタイムアップ。
当然のように不合格でしたとも。ええ』
まるで国会のようではないかなどとスレた大人は思うわけで、社会人への第一歩としてのショック療法としてはある意味で効果的であるかもしれない。
それにしても、あまりといえばあんまりである。おれが新人研修でやったときには、多少科学知識にバラつきはあっても、ここまでひどいことはなかった。まあ、おれたちの世代は小学生のときにアポロが月に着陸しているわけで、どんなに科学に興味のないやつでも、月がだいたいどんなところであるかは知らずしらずのうちに叩き込まれているせいもあるだろう。それにしても、いやはや……。十六歳年下の大学生の月知識はここまで落ちているらしい。清水さんが遭遇した学生たちがどういう学生なのかはわからないが、少なくとも大学と名のつくところ(下手をすると“名門”と呼ばれるところ)に入学し、四年生にまでなった人々であることはたしかなのである。それが、少なくとも月の知識に関しては、おれたちのころの小学生以下だということだ。学校の理科教育は、機能不全どころか、完全に壊滅していると言えよう。三雲岳斗氏の書きかたは、ますます正しいのではないかと思われてくる。もはや、基礎の理科教育は教師の仕事ではない。教師は親の仕事を押しつけられているので、それどころではなかろう。現代の理科教育は、SF作家の仕事なのだ――って、なんだかなあ。でもまあ、おれたちのころだって、ある程度はそうだったんだよね。そういう役割を正しく担うジュブナイルSFや科学読みものは、きちんと提供されるべきなのだろう。 その後清水さんは、ほかの会社にシステムエンジニアとしてめでたく就職が決まったそうである。正義は勝つ。