搾取
搾取の主体は必用ないのではないか?Summer498.icon
搾取と言っておぼろげに思い浮かぶのが
誰かの利益のために、別の人が苦痛を強いられている姿
→主体の利益のために、客体が苦痛を強いられている姿
ここで、
主体が利益目的でこれを行わなくても搾取と言ってよかろう
例えば: 客体が苦痛を強いられることによって主体に入ってくる利益を主体が溝に捨てる場合
ドブに捨てるなら最早利益はどうでもいい
→客体が苦痛を強いられる
「客体が苦痛を強いられる」は広げ過ぎだ。なにか条件があるはずだ。
例えば、虐待を受けている人は痛ましいが「搾取」されていると言えるだろうか
Summer498.iconから見ると、眼の前に人参をぶら下げられて走らされているような人が搾取されていると思う
欲求を満たすための "対価" を要求されて、自身の欲求を満たすためにその "対価" を支払っている人
対価には正当な響きがあるが、不当であっても良い。なので "対価" として他意を含ませる
この書き方だと以下の場合は当てはまらなくなる
「兄ちゃん、エエ思いしたんやから、ちったぁウチのために働けや」
要求を満たすための "対価" ではなく、要求を満たした後で "対価" を求められている。
→ 欲求に対する "対価" を要求されて、自身の欲求を満たすためにその "対価" を支払っている人