感動で一つになるって、嫌な言葉
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感動で一つになるって、心底嫌な言葉だなあ。そこから外れた人のことは勘定に入って無さそうだし
「そもそも一つにならなくてもそれぞれが生きていける世界のほうが、いいと思うんだけどなあ」と、音楽家は続ける。感動(エモーション)は、みなと同じ感情の渦に巻き込まれ、唱和することではなく、各人の内にふとざわめきが立ち起こり、それが何か判らないまま、深い眠りから醒めるような動き(モーション)となること。大友のツイッター(2月18日)から。
仲間とか絆とかも同じ理由で苦手。
強烈に「仲間!」「絆!」という言葉で固めている周りには必ず「あなたは違う」と外に置かれた人が存在する。囲い込むから仲間や絆ではあるけれど。近づいても「あなたは違う」という見えない線で弾かれる経験が多かったので、今はもう、これらの言葉を多用する人のそばにあんまり行きたくない。
いつも思うんだけど、仲間とか絆とか言い出したときは絶対に「仲間以外の人」や「絆ではつながってない人」が発生する。線引きするからその概念が存在できるのであって。でも内側にいる人は外側の人ことなんて気づかない。そうなっちゃうのは怖いなと思うことがある。つながりが強いほどそう思う。 この話は、国民国家形成時の話でよく引き合いに出される、自分たちのアイデンティティの確認のために“自分たちとは異なるもの”を逆説的に必要とする、という論を思い出す。terang.icon
厄介なのは、こういった構成的外部を想定し続けると、最終的には「自分たち」が、「自分1人」に、原理的にはなるということだろう。