必要最小限に書く
いらんことは書かない
最近こちらの考えになっているseibe.icon
短歌作るときに感じるcFQ2f7LRuLYP.icon
短歌を作ろうとしてからこの考えが出てきたseibe.icon
ある程度、言葉にしないほうがきちんと言い表せる言葉を探せる感じ
余韻、余情cFQ2f7LRuLYP.icon
手書き文字はあんまり考えなくても文字の形にこれを感じれる気がするseibe.icon この「身体で精錬させて、結実」するまでの過程で、いろいろ書いたり考えたりすることはあるcFQ2f7LRuLYP.icon
cFQ2f7LRuLYP.iconがときどき「推敲過程」でやってるようなやつ
あるseibe.icon
そのときは、文というより思いついた単語やフレーズの書き留めになる
思いついたこと全部書きたい気持ちもあるが私にとってはよくなさそう
タイピングより考えが出てくるほうが早い→間に合わない
タイピングすること自体が快楽のため、気づくとただ思いついたことを記録するだけになる
多少考えは進むが手が疲れるだけみたいな結果になる
文字だけ増えて読み返すのがだるい
書かないと言語以外の想像ができるのも良い
映像
音楽
作るとき、やはり言語的記述だけでなく音を聴きたい
この方策は、書くことへのモチベーションを高める効果もありそうcFQ2f7LRuLYP.icon
たまに食べるケーキは常食しているよりもおいしく感じる
でもメモしておきたいときはあって、それで単語やフレーズの書き留めになる
おそらく、その過程を隠すか切り離すかすると最小限に近づくんだろうcFQ2f7LRuLYP.icon
映画本編とメイキングみたいな
必要最小限に書こうというこのページで、こうして枝が繁っているのにはすこしおかしみがあるcFQ2f7LRuLYP.icon
わかる、自己矛盾的ページとなっているseibe.icon 書きたいことを書くのは簡単だけど必要最小限に書くのは難しいのでこっちのほうが考察が捗るのかもSummer498.icon
書いてから思ったことseibe.icon
むしろ「むやみやたら書かない」「吟味して言葉を紡ぐ」という方が適切
空行に言葉を埋める前に書く内容を練ってから書く
「ゴミページが沈んでいく」がScrapboxの特長の一つらしいはるひ.icon あるいは要らん部分があとでわかるようにするsta.icon
というより「要る部分」を要約などの形で強調する
書きながらじゃないと思考できない場合はどうしてもたくさん書いてしまう&いちいち消すのも大変なので
少ない文字数で伝えたいことが書ければカッコいいSummer498.icon
自分でこねるときはいっぱい書く
展開と圧縮
説明系の文だと、紆余曲折や苦労話があってもサラッと流してXXというふうに考えてXXしましたと説明すると分かりやすい
ギャグは短いほどカッコいい
長い説明をするとダサい
久住哲.icon
「必要最小限」の「必要」とは何か
注
「必要最小限」という表現はこれで1つのまとまりであり、また、この表現は「簡潔」という言葉で十分に言い換えることができると想定されており、かつ「簡潔」という言葉の意味の構成要素には〈必要〉という要素が含まれなくてもよいということは重々承知したうえで書いている。
ここでの必要とは、語り手あるいは書き手が、聞き手あるいは読み手に対して、自分の伝えたいことを正確に伝えるのに必要な……という意味だろう
この場面で想定されているのは、
語り手が聞き手に何かを伝えなければならない状況であり、
語り手は特定の聞き手を持ち、聞き手は大あれ小あれ語り手の話を聞く気でいる状況である
例えば、自分の意見について質問されたとき、あるいは他の人に何かを説明したいと思ったときには、語り手の側に言語化の必要が生じてくる。
〈書いておく〉と〈必要最小限〉と、このふたつは相性が悪いかもしれない
書いておくときには、言語化するべきことが不明確なままである。なので、色々な場合を考えて、「もし……と考える人がいたならば〜」という記述を重ねることになりかねない。
今後話が更に進んだ後に出すかもしれない話を書いておく
しかし、書くという行為の最中にも咄嗟の瞬間は絶えず訪れる。次に何を書くか、何をどれだけ書くことができるかということは、書く行為のうちで問われつづける。だとすれば、どうして書く行為と話す行為とを区別するのだろうか?咄嗟に問われて何かを言うときと、書くあいだに常に咄嗟の瞬間に晒されることとは、どう違うのか。
その瞬間は多くの場合咄嗟の瞬間だと、久住哲.iconは思う。急に問われたときに、自分は何をどれだけ言えるだろうかという、そういう問題だと思う
あるいは、こう言ってもいい:言いたいことが結晶化されたと分かるのはいつか。これはすなわち、どうしてそれが結晶化されたと判定できるか、という話でもある。
こう考えるとき、久住哲.iconは勝手に次のことを前提としている:言いたいことが心のなかで固まってきたとしてもその固まったものを心の眼などで観測することはできない(それなのにどうして……)と。
このエンジニアさんは、手を動かしたのこそ1回きりだが、その前にぶつぶつ喋っていた
この事例では、解決すべき問題がはっきりとあった
なぜ書くのか。より正確に言うと、なぜ書いておくのか。