当用漢字
第二次世界大戦前から漢字廃止論者、漢字制限主義者、表音主義者は、漢字は数が多く学習に困難であるから制限または廃止すべきであると主張し、実際に、文部省を中心に用字制限などを試みた。しかし民間や文学者、日本語学者からの反対意見も強く、改革は行われないでいた。
戦後、連合国軍最高司令官総司令部の占領政策となった国語国字改革のもと、簡素化と平明さを目指して、戦時下に作成された標準漢字表内の常用漢字を基に当用漢字が策定された。従前は、答申、すなわち単なる意見具申が内閣に提出されてから十分な期間、民間の討議に付されるのが一般的であったが、当用漢字については1946年(昭和21年)11月5日に漢字表を公表後、わずか11日後の16日に内閣告示という極めて性急なものであった。連合国軍最高司令官総司令部内部には「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」と考える者がおり、1948年(昭和23年)には連合国軍最高司令官総司令部のジョン・ペルゼルによる発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が持ち上がった。予備調査として正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示した。1948年(昭和23年)8月、文部省教育研修所により、15歳から64歳までの約1万7000人を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率は非常に高く、漢字と識字率には関係がないことが証明された。このため当用漢字は常用漢字表が告示されるまで「常用」されることになった。