引用スープ
引用スープ
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思考実験: 引用スープ
前提: 日本の著作権法において引用は著作権の制限対象になっている、つまり引用であれば著作権を無視できる
実装レベル0
著作権フリーな古典を使う
「入力されたテキストから興味深い部分を抽出する」コードを作る
実装レベル1
1の出力を見て人間が色々書いたりする
連想したページにリンクを貼ったりする
実装レベル2
1のデータをfewshot sampleとして「与えられた文章を読んで考えたことを書いたり、連想したものにリンクをはったりする」コードを作る
これを多くの古典に対してぶん回すことで適度なサイズの「断片と考察とその連想ネットワーク」ができる
実装レベル3
著作権のある新しい書籍を2のシステムに入れると、興味深いところが切り出されてネットワークに統合される
いまは人間を通してこれが行われているけど(人が様々なものを読んでインターネットに書き込む)、もっとシステマチックにやるということかー基素.icon
実装レベル4
書籍を読んで自分が興味深いと思ったところを入力すると、それに解説文やAIが連想した他の断片へのリンクがつく
これにパーマリンクをつける
書籍を読んでマーカーを引くくらいの手軽さで、その概念にパーマリンクができてリンク可能、言及可能なオブジェクトが生成される
人類の集団的思考を加速するのではないかと思う
まあ著作権をぶっ潰すところは賛否両論なので序盤は避けて通ってもいいw
例えば講演資料とかレポートとか書いた人が、この「引用スープ」に投げ込むと連想ネットワークと一体になって、興味関心の近い人とつながる機会になる、というような感じの新しいSNS
人のネットワークではなく概念の連想関係のネットワークになる
自分が著作権から利益を得ておきながら何を言ってるんだと言われそうなのでむにゃむにゃ
この点は主張と関係ない気もする基素.iconはるひ.icon
今あるものは便利につかう。それはそれとして
著作権によって思考の流通が妨げられてるの、人類文明の進歩に取って妨げなのでは?妨げならぶっ潰した方が公益的なのでは?という気持ちになった
ちなみにこの本は「大乗仏教の根本思想はヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論」と主張する本ですw
これと正反対のことが『理科系の作文技術』9.4節に書かれてた気がして調べてみたけど、勘違いだったtakker.icon あえて挙げるなら広義の著作権には、このほかに、著作人格権がふくまれる。(略)この権利の故に、著作者にことわらず著作者の氏名・称号を改変したり、著作物の内容や実現を変更することは何人にも許されないのである。(p.167)が気になったけど、著作権をぶっ潰す話とは無関係そう 2024-08-31
4と3は順番が逆な気がしたnishio.icon