少しのことにも先達はあらまほしきことなり
仁和寺〔山城葛野郡花園村にある寺、眞言宗、俗に御室。〕に、ある法師、年よるまで石清水〔男山八幡宮〕を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより〔徒歩で〕詣でけり。 極樂寺、高良〔共に男山の麓にある末寺末社〕などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかり〔見たい知りたいと思ふ〕しかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしの事にも先達〔先輩、案内者〕はあらまほしきことなり。 先達がいたなら、参拝者が山に登る理由とかを教えてもらえただろうになあと法師が思ったということ?yosider.icon
法師でなく書き手(兼好法師)がそう思っているcFQ2f7LRuLYP.icon なるほどyosider.icon
ここで、法師は“山”のほうに岩清水の本殿があったのを知らずじまいなのかもはるひ.icon
その方が幸せかもしれない
行く前に知っていたら山で滑落したり心臓発作起きたりして死んだかもyosider.icon
まあ本望かもしれないが
後で知らされたら後悔するし本意を遂げられなかったことを悔やむことになるyosider.icon
オチを見たあとだと「ただ一人」というのがちゃんと説明されているのがわかるcFQ2f7LRuLYP.icon
数人での旅路だったらこの文が残ることはなかっただろう、多分
疑問点
石清水八幡宮は一生に一度は参詣したいくらい重要みたいだけど、実際どういう重要さなんだろう?cFQ2f7LRuLYP.icon
源氏物語で、玉鬘がここを参拝して紆余曲折の末に都にいる父の光源氏との縁ができたなイベントが起こっている 気になります、江戸時代に一生一度は伊勢参りという風潮があったことを耳にしてどんな感じ?って思ってましたsume.icon
仁和寺にある法師は、なぜ歳を取るまで参詣できなかったのか?cFQ2f7LRuLYP.icon
当時はそういうもの?
仁和寺から石清水八幡宮はめちゃ遠い?