安徳天皇
安徳天皇(あんとくてんのう、1178年12月22日- 1185年4月25日は、第81代天皇。諱は言仁(ときひと)。歴代の天皇の中で最も短命だった天皇。戦乱で落命したことが記録されている唯一の天皇である。 https://gyazo.com/86b16c9d466252fca5436f43e325db7f
寿永4年(1185年)4月、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る。この際に安徳天皇は入水し、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した。母の建礼門院(平徳子)も入水するが、源氏方将兵に熊手に髪をかけられ引き上げられている。この際、三種の神器のうち神璽と神鏡は源氏軍が確保した。 『平家物語』「先帝身投」の描写では、最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになりましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。『吾妻鏡』では安徳天皇を抱いて入水したのは按察使局伊勢とされている。 神器の宝剣はこの時失われたとする説がある(宝剣に関しては異説も多くあり、それらについては「天叢雲剣」の項目を参照のこと)。原型か形代かは別にして、朝廷側が宝剣の回収に失敗したのは確定している。その後、後鳥羽~土御門天皇~順徳天皇時に伊勢神宮から献上されたものを正式に宝剣とした。