大江山生野の道の遠ければまだ文も見ず天の橋立
雑上・550
和泉式部が、夫の藤原保昌と一緒に丹後にいた頃の話。都で歌合があり、和泉式部の娘小式部内侍が歌人に選ばれた。そこに藤原定頼卿がおいでになって「歌はどうなさるんですか。丹後へ人をお遣りになりました?まだ使いは戻っておられないようですね、いかに気がかりにお思いでいらっしゃることやら」と戯れて、通り過ぎようとしたのを引き留めて… あまりに小式部の歌が上手であるので、時の人たちは「和泉式部が添削をしているのだろう」と思っていたようだcFQ2f7LRuLYP.icon
大江山を越えていく生野の道は遠い道。だから私はまだ天橋立を踏み渡ったことはありません。母からの手紙だってまだ読んでいませんよ。 生野は丹波国の地名で、「行く」を掛ける
ふみは「踏み」と「文」をかける
十訓抄の方だと定頼が
「こはいかに。かかるやうやはある」とばかりいひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。
と驚いて逃げていくさまが見られる