同一律
同一律
論理学において、同一律とは、「命題AはAである(A=A)」とする原則のことである。無矛盾律、排中律とともに、古典的な思考の三原則のひとつに数えられる。 同一律は、「すべての事物(命題)はそれ自身と同一であり、他の事物(命題)とは異なる」ということを意味する。このことから、すべての事物(命題)は、(普遍的なものであるにせよ、特異的なものであるにせよ、)それ自身に特有の性質・特徴を備えている、ということになる。古代ギリシア人は、これを本質(essence)と呼んだ。同じ「本質」をもつ事物は同じものであり、異なる「本質」をもつ事物は異なるものとなる。
「AはAである」というのは、その象徴的な表現である。
1つ目の命題は主語(もの)、
2つ目は述語(本質)を表しており、
AとAを結びつける「は」という語(コピュラ)は、両者の関連性を指す。
さらに、言葉の定義とはその言葉の指す事物の本質の表現であることから、事物が本質として何を指すのかはその定義を通じて決定される、ということになる。
例えば、「法律家とは、法律を扱う資格・権威のある人間である」という決定的命題があるとき、主語(法律家)および述語(法律を扱う資格・権威のある人間である)は同一のものであると宣言されている。
結果として、同一律により、「法律を扱う資格・権威のある人間」以外のいかなるものも「法律家」と呼んではいけないことになる。