合理論の批判
合理論の批判
from 現象学入門: 新しい心の科学と哲学のために
これまで、 私たちの全認識は対象にしたがわねばならないと想定されてきた。
ここまではわかるnishio.iconblu3mo.icon
しかし、 私たちの認識を広げる概念を通じて、 対象について何かをアプリオリに見いだそうとするすべての試みは、 この想定のもとではうまくいかなか ったのである。
これは、Kantの純粋理性批判の冒頭らしいblu3mo.icon
英語版原文のここ
具体的に、何がうまくいかなかった?blu3mo.icon
ここの文章がそもそもよくわからないnishio.icon
英語だと:
It has hitherto been assumed that our cognition must conform to the objects; but all attempts to ascertain anything about these objects a priori, by means of conceptions, and thus to extend the range of our knowledge, have been rendered abortive by this assumption.
「a prioriに分かる事のみから色々な事を導こうとする試み」が上手くいかないと言っているので、これは普通に合理論の事を批判しているのかなblu3mo.icon
うーんとnishio.icon
「対象物があらかじめ存在していて、認知はそれに従わないといけない」って仮定すると、
ascertain anything about these objects a priori
元々持っていた(a priori)な知識によって「対象物についてのすべての情報を確かめる」して
to extend the range of our knowledge
それによって「知識の範囲を広げる」つまり「元々持っていなかった知識を獲得する」こと
はできないんじゃないのか、という話かな
普通に合理論の事を批判しているという解釈でいい気がする
つまり例えばプラトンの「イデアを思い出すんだ説」を例に挙げるなら
「それはイデアとして元々持っていなかったものを得ることはできないのだから『知識の範囲を広げる』ができてないよね」という批判が成立する的なことだと思う