南泉斬猫
なんせんざんみょう
〘名〙 禅宗の公案の一つ。中国の唐時代の禅僧南泉普願に関する話。ある時、東堂西堂の両堂で猫の仏性の有無を争ったところ、南泉はその猫をとらえ、どのように会得したかを説くことができるなら斬らないが、できなければ斬るといって返答を求めたが、返答がなかったのでその猫を斬ったという故事。 このあと南泉が趙州にこの話をした(無門関第14則) 趙州は履を脱ぐと頭に乗せて出ていってしまった
これを見た南泉は「お前がいれば猫を斬ることもなかったのに」と言ったのだった(おわり)
禅宗の有名な公案。中国で南泉普願(七四八~八三四)の門弟たちが猫の仏性(仏の種)で論議していたとき、南泉は猫を斬って対立の根を絶つことを教えた。その夜、高弟趙州が来たので南泉がその話を問うと、趙州は草履を頭上にのせて出ていったので、南泉は「君がいたら猫は殺されずにすんだのに」といったとの話。
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どのように会得したかを説くことができるなら
ここの説明に飛躍がある感nishio.icon
いきさつのところはよくわからないのだけど、
結論は「猫に仏性があるか?ないか?それは誤った二分法だ!」ってことだと思ってるnishio.icon その程度のことを言うために猫を殺すな!(余談)
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その後の「草履を頭に乗せて出て行った」は「猫に仏性があるか?ないか?それは草履の右と左のようなもの」ということ
「対立は本質的に存在するのではなく人間が見出している、見方を変えれば消える」ということ
南泉が猫を殺したのは「猫という存在」を消すことで対立を消滅させてみせたわけ
この感覚に関しては隻手の声の方が直接的でわかりやすいと思う 「猫に仏性があるか?ないか?それは両手を打ち鳴らしたときにどちらの手から音が鳴ったか問うようなものだ」