人を守るべき弱者として扱う話し方はして良いものなのかどうか悩む
from 2026/05/06
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人を守るべき弱者として扱う話し方はして良いものなのかどうか悩む
人間は人間として対等に扱われるべきだと思っている
一方で、対等に対話することができる状態ではない人間もいる。
その対等に対話できない状態の人間が対等に対話できない状態であることについて述べたり、
対等に対話できない状態の人間を対等に対話できない状態の人間として取り扱うのは、
相手を何だか卑下しているようなそんな失礼な方法になるのではないかと思っていた
言われる側は案外気にしないのだろうか。
「子供扱いすんなー」とか「俺は健常者だ」とか「病人扱いすんな」とか反発が予想される。
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もう少し広く捉えられないものかと考える
多かれ少なかれ相手のエミュレータを脳内で動かして、相手に適切な方法を選択しコミュニケーションしていると思う
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障害者の話ではないだろうけど、障害者に対する扱いとは、という話で認識
ちょうどよくこんなニュースを見かけたからかもしれない
障害者雇用「仕事与えられず放置」相次ぐ…業者に就労管理「丸投げ」の企業、在宅勤務で連絡も取らず | ヨミドクター(読売新聞)
障害者雇用ビジネスを展開する業者の仲介で企業に直接雇用された在宅勤務の障害者が、実質的な仕事を与えられず、業者とチャットなどで簡単なやりとりをするだけで事実上放置されるケースが相次いでいたことがわかった。
知的障害者と一緒に作業をしたことがあるために、「仕事を与えられず放置」ということをやりたくなる気持ちが分かる
分かるが、放置は立派な虐待なのでダメ
「対等に対話することができる状態ではない人間」とつながり、対等ではないとして扱いを変えると反発するというのもつながる
弱者として扱うべきかどうか、こちら側の意見も曖昧だし、受ける側の意見も曖昧なのでやってみないと分からないが、「やってみる」ことに対するコストを払うだけの価値があるのかどうか、特に障害者、さらには単純労働が限界な障害者相手に行うべきなのかと悩む
コストだけで見てしまうと自分がそちら側に入った時にも恩恵を得ないとなってしまい、それは嫌だとなるので救済措置が用意され運用され、それに手を貸すことに拒否は無いが、実際に眼の前にコミュニケーションが成立するかどうか怪しい人がいて、その人と作業を行うとなるともやっとした気分になる
ここまでの状態になるのならいっそ放置してくれ、自分に対し無駄なコストは払わないで欲しい、という思いが今はあるが、本当にそちら側に行った場合は結局「生きたい」となるのだろうと想像する